2008年12月13日土曜日

小堀はどこか





















小堀(おおほり)は茨城県取手市ですが利根川の千葉県側にあるぽつっと出島のような100戸の小さな集落です。江戸時代から江戸と茨城、東北をつなぐ大動脈として舟運を生業としてきました、当時は佐原、木下と並ぶ河岸のひとつとして栄えました。

上の写真の鍵型の古利根沼には昔の利根川の面影があるでしょう。 小堀は明治時代の利根川河川改修にて取手市街地から切り離されました。 現在の利根川の上方向が取手市街地、沼を境に下、左右は我孫子市、沼の対岸の森は我孫子市市民のTrust Fundの森です。見えませんが左方向にJR  常磐線が走り、利根川の河川敷手前側が東我孫子CCその右端のrt170のMarkの右上が小堀の渡し場で今でも取手との間を往復しています。住民は無料、外部の方は100円です。

2008年12月12日金曜日

東遷と小堀

実は利根川は江戸時代まで東京湾に流れ込んでいました。 江戸幕府が現在の形に銚子に向け太平洋に流れるように大工事を起こし治水と流域の一大農地造成を貫徹したのです。 これによって当時世界最大の都市であった江戸100万人を流通の整備の観点および農地の拡大により養ったのです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E6%A0%B9%E5%B7%9D%E6%9D%B1%E9%81%B7%E4%BA%8B%E6%A5%AD


その後、明治政府もたびたび氾濫する利根川の治水工事を進めました、小堀(古利根沼は昔の利根川)を取手市街から切り離し現在の形になったのです。 小堀は江戸時代から代々高瀬船を要し関宿を経由、江戸川、中川、小名木川を経由し米、肥料、魚加工品等を江戸に輸送する業で繁栄したのです。 関宿の向の境町、5Km川下の木下、柳田國男の布川(フカワ)も同様に運送業、旅館、倉庫業や金融業もあわせ繁盛したのです河岸とよびます。 小堀では多数(300名もいたとの記録があります)の船を引く労働者に対して銭湯を船の上で提供しかつ情報交換の場を提供する湯船がいくつもありました。

小堀の渡し

今でも小堀と取手市内を結んでます。 住民は無料、一般は100円。 今も1時間おきに定期運行していますが実態は観光渡しのようで利用者はきわめて少ない。昔はこれ以外交通手段がありませんでしたがいまは無料巡回バスのほうが正確で本数も多い、早い。

以下を見てください。

http://fwga5977.cocolog-nifty.com/donburi/2008/06/post_710b.html

明治時代の利根川の改修で取手市街から切り離されるときに住民の条件闘争で無料提供を約束させたそうです、沼の半分を個人に払い下げたのも同様でしょう。 個人が大きな水面をお持ちなのは実にユニークなことです、水面を活かし養魚場もあったようですが今ありません、今は小さな船着場をつくりボート遊びをしています。 今でも鯉、フナ、大きな亀がたくさんいます、なぜか亀は季節には庭を徘徊します。

Manner

わけもわからずBlogをはじめましたが経験者からAdviceを受け、いくつか編集をしました。個人的な記録を残したいのが主な動機ですが、(何せ数日するとみな忘れてしまうので)公開する以上はそれなりの約束があるようで勉強になりました。

2008年12月11日木曜日

小堀の桜



















お向かいの旧家は沼を払い下げられていて沼の中央までが私有地です。 屋敷と沼との間の河岸にこの桜の木があります。 左がお屋敷、右が沼です。
我が家は左方向でお屋敷の向かい側にあります。


















私の一番好きな桜の季節の小堀です。
桜の木々と完全にシメトリックな水面の影がなんともすばらしく大好きな一枚です(手前の釣り人が邪魔との声も)。 小堀の何百年も変わらないゆったりした雰囲気を感じさせてくれていると思います。 左が南、奥が西で両方とも千葉県我孫子市、右が北で小堀 茨城県取手市、手前が利根川 本流への水門。

北側


















この辺での知恵、少し前までクーラーは不要で夏は葦づでひざしをさえぎり風をいれて涼を取りました。
手前のWood Deckは一本60kgの橋梁枕木を40本並べただけ。

こちらは北側で50坪ほどの庭で植栽や岩の池があります。 今回のreformでは南側の庭はおおきくは手を入れず、憩う中心を北の庭を眺めるように大きな開口部のLiving、Dinningを増設しこのWood Deckから借景の梅林をとうして利根川の土手まで見通せるようにと、まったく裏返しの生活設計でこさえたのです。 南からの入り口には大きな土間の後が有りましたがそこと和室、Livingを One Flatにし柱を抜けるだけ抜き、Home Theaterを設置したのです。 ですから南の玄関を上がりDoorを開けるとそこがTheater、その先がLiving そして一望に庭や畑、土手が望めるのです。 

街中ではないので深夜は人影もまばらですから防犯に無線Lan、携帯連動暗視カメラ、センサー等々室内外にかなり力を入れて作りこみました。


















北側のViewです、赤い屋根が増築したLivingや事務所の部分。 左が300年のえのき。屋根の向こうの木々は古利根沼対岸の我孫子市の自然公園の木々。手前はお向かいの3000坪の梅畑。 200本の梅その他が植わっていて、梅を越えて利根川の土手が見えその河川敷が東我孫子CCの5番Green。 小堀の渡し船着場で取手市外にひと漕ぎ。

2008年12月10日水曜日

300TEはおばあさん


これが問題のおばあさん。
15歳か? 運動不足の後で少々Sportを始めたら骨折、筋肉痛、アキレス腱切断、心臓不整脈。。。
困った困った。

300TEは大不調

目茶不調で5月に購入以来5回目の入院です
10月に草津温泉に高速を使って行って500Kmほど本格的に揺さぶって以来さらに不調です。

1. 草津から返って暫くしてFuel Pumpが2個とも壊れてEngineが掛からづレッカーにて入院  <生まれて始めてレッカーで移動
2. Oilが冷却水に混じりだしガスケット交換  <結構な仕事
3. PW Steering PumpのゴムPipe破損にてOil発煙
4. PW Steeringが効かなくなる症状あり、ファンベルト・テンショナー交換
5. Fuel Levelが不安定でゲージ交換
6. Engine Mount交換
7. Speed Meter Wire切断にて交換

8 つでにSuperで当て逃げされrear lampを破損交換

購入直前の3年間で5000Km(いま70,000Km)しか走ってないのでありとあらゆる物が固着したのでしょうか?

小堀の週末 冬支度

昨日のことは記憶があるが土曜日のことは中々思い出せない、
思い出しながら。。。。。
小堀で枯葉と戦い自作した堆肥場に詰め込んでは米ぬかや鶏糞や土やらを何段も積みあげる作業をしたことは間違いない。 だんだん思い出してきて自転車のパンクを直したり年末の挨拶に行くたびに大根や隼人うりをたくさんもらったりした。 皆さんNHKや新聞でみてXXX大変だねと。 
我孫子温泉も行った、またIp電話が入ったのであちこち電話を掛け捲って遊んでいますが今年は八早湾の牡蠣が絶好調で注文したり筑波の自然農場に乾燥芋を注文したり。 午後5時には真っ暗で7時には何もやることが無く寝てしまった。

昨日も基本的には前日と同じで違うのは朝一に光のDisconに業者が来た今後はADSLで我慢。その後増築部分の屋根の上に落ち葉が大量に積もってたのを見つけて落として焚き火したり、あとはなんだか? 我孫子温泉も行った、図書館は行かない、昼はみのり屋でラーメンも同じ。 一番の違いは昨日は朝が非常に冷えて今年の冬始めて氷が張ったこと。
そうだ思い出した、籾殻を巨大な袋で3つ譲っていただいていてそれを一号畑(6坪)に2つ、二号畑(2坪)に1つ入れてすきこんだ、ずいぶんと土がふかふかになり後は腐葉土が春には出来上がるのでそれを入れ込んで生姜を作る予定。 その農作業が大変で夜は即ねてしまう。 
このあたりの米はうまいらしい、土はもちろん最高ですが水は巨大な井戸を部落で持っていてそれで清潔な水をまわして栽培するのでうまいそうだ、来年の分は予約しなくては手に入らないらしい。ぬかは無料でいくらでも手に入る、籾殻は200円で分けてくれる、200円は我孫子市の汚水処理場の
処理用に買い取る値段だそうだ。














東の端から見た古利根沼です右が小堀、左が我孫子市の市民Trust Fundで生き延びた森です、森の中には古城跡があり取手方向の眺望を活かし監視していたのでしょう。


小堀の隠れ会員制レストラン。 眺望がすばらしい。

Blogの使い方がわからない

1行作成したのはいいがその後追加を簡単にする方法がわからない。 何かをやってるうちにここにたどり着いた??? さて 簡単に追記できる方法はどうしたものか?

2008年12月9日火曜日

小堀日記を開始する

今日から小堀の日々をメモに残すことにした。