2011年5月24日火曜日

IAEAが来た

IAEAが視察にきました、全世界に共有される報告書を書くためです。途端に事実が出てきました
メルトダウンは1号機は1日後から、冷却バッテリーが生きていた2,3号機では2-3日以内に発生していたらしいと。さてこれは72日もかかって分かることなのか? そんなものはDay1から分かっていたに違いない、もし分からないのならそもそも原発や世界に3箇所しかない再処理工場を運営する知識も管理能力もないことになります。100%分かっていました。なんだかの仕組みの中で公表を止められていたのでしょう、国会であれこれやっているのは全て芝居です。 

しかし、被災後2-3週間はかなりの余震も続きました、皆さん水やGasやカップ・ヌードルを買い集めていたでしょう。その時点でメルトダウンの可能性を公表したらどうなっていたのか? 娘を西に送った方も居ました、想像もできないことになったのは間違いない。原発Siteに作業員や自衛官は残れただろうか、閣僚や金持ちは飛行機を抑え子息を海外に逃がしたかもしれない、アフガンの様な無政府状況になっていたかもしれない。

??そもそもIAEAとはなんだか、これほどの危うい世界の核にどんなPowerがあるんだか?

追記: 原発の文献を読んでいましたら反対派の学者がIAEAは保安院、その他の斑目一派と同根で原発推進の営業部隊だとの評がありました。しかしエルバラダイはノーベル賞を受賞したのでは?