2011年7月31日日曜日

被曝障害評価: なにがGAPを生むのか?

セミナーや多数の文献を読みながら立場の違いが有るにしてもこれほどの左右真逆の安全、危険の議論がぶつかるのかに頭を悩ませてきました。

今時点でPointを単純化すると 1。進めなくてはならない立場の人と原発だけにFocusし単純に危険ならやめるべきとの人との対峙がある、2。どう安全かなぜ危険かでは今のところ古典的な症例事実の傾向から論じるしか無い立場の方が業界の主流。ところが危険度合いを予知する技術に革命が起き、遺伝子工学にて遺伝子Levelの変異を微細に捉えることが出来るようになった。実際にはまだ症例が出て無くてもDNAの痛み具合いから発症を予知できるようになった。この対峙、すなわち20-25年後の障害を予知できるとした立場の論陣の方との戦いらしい。

だんだんわかってきてその内にSimpleに比較ができるだろうが推進派は極めて分が悪い。究極の廃棄物処理までを包含した技術が完成できていない、よってもってLifeでの発電コストが説明できない、兵器産業としての技術が民生の発電Buzに継承できてない。と言うか兵器技術は共有しては優位性が損なわれ民生と共有出来る道理もない。よってもって技術や運用経験を製品として買うことになり事故を前に経験やCore技術が無いので真実に斬り込むことができない。