2008年12月22日月曜日

裏庭で焼牡蠣

今年は長崎県諫早湾の牡蛎が絶好調で部落の皆さんと焼牡蠣パーティーをしました、Livingから庭をめでながら皆さんがもちよった家庭料理を夜更けまで楽しみました。家内はWineを飲みすぎ終バス(とはいっても8:30PMが最終)を乗りそこね久しぶりにこちらにとまりました、翌朝さくらを散歩に連れて行かなくてはならづふらふらしながら自宅に戻りました。

この枕木テラスは北に向いています、南側お向かいさんお持ちの梅林を借景に利根川の土手の上を走る街道の街灯が見えます。 その先が小堀の渡しで、今年は小堀の皆さんの自家製 あわのとり が作られています。 すっかり葉が落ちて冬の景色ですが夏はこんもりとした緑に囲まれます、2月の末には梅の花が見えることでしょう。 年末にはおもちをつきます、蒸しあがったおこわに大根おろしと醤油でいただきますがうまい。 なんだかんだと部落では皆さん共同して行事が行われているてそこに参加させていただくととてもいい気分になります。

空、 飛ばない機械

子会社に転籍した後に空を飛ぶのに夢中になった時期があり、US SFの業者からEngineや
Para glider 一式を購入して地元や群馬のClubで練習していた事があります。 これは90ccの短気筒ですが10,000回転のフル スロットルのままで10分まわしても壊れないRaceで使うような2 Cycle Engineです。 先日倉庫を開いたら雨が漏っていてあちこちぬれていたので引っ張り出し乾燥させました。 (雨漏りは2Fの廊下の床修理が悪くつなぎ目に水が溜まるくぼみができていたせいですぐに修理させました。) さてこの機械、先々使うとも思えづ重さも結構なもので移動も大変、Para Gliderも2Set大きな袋に入っていてその他GasTank、Pera、ヘルメット、高度計等々ありかさばりどうしたものか?

あわのとり (どんどまつり)




















20年も絶えていたあわのとり(どんどまつり)をPTAの皆さんが復活させました。 竹は部落の個人の竹林から稲も有志が提供し皆さんで立てたそうです。 以前は12-3才の子供たちが集まって各戸を回って門松やらしめ縄を引き取りお駄賃をもらって自分たちで小屋を作ったそうです。1月12日成人の日夕刻に盛大に火をつけもちをあぶり食べます、すると病気にならにとの言い伝えです。 
場所は小堀の渡し場、東我孫子CCの東6番Par3のtie groundのすぐ横です。 

http://www.city.toride.ibaraki.jp/index.cfm/13,353,80,385,html

2008年12月14日日曜日

さくら


さくらです、雌の7歳ぐらい。 White 柴です。
家の中が大好き、外出が嫌いで鎖を付けさせないので紐をつけたまま生活しています。 以前は鼻が真っ黒でしたが、何でこうなったんだか?

明治時代の利根川運輸

小堀は江戸時代から利根川河川運輸のメッカでしたが、5Kほど下流の木下は明治時代に入り蒸気汽船にて東京と銚子をその当時は画期的な高速で結ぶ輸送基地の一つでした。 

以下は木下まち育て塾村越さんの研究成果です。

http://hw001.gate01.com/hiro-murakoshi/kisennogaiyou.htm

面白いのはその一大Buz Chanceに旧士族や今の日通の前身その他の大中の民間資本が価格、Speed、付加ServiceやらをBreak Thruしながら覇権をかけ大競争しました。 中には外人技術者を使い運河〔野田市 理科大横)の掘削や軽便鉄道を使い関宿での折り返しをBypassする事業を始めた方も居ました。 でも最後はまったく異次元のTechnologyすなわち鉄道に全てを奪われるのです。 そんななかでも中小の地場輸送業者を大規模にAliedし軍の輸送を担った日通がいまも生き残っているのですまた発祥が茨城というのも驚きでした。
ISDNからADSL, 光への技術進歩とそれを取り込みてこにして多数の電話や電線会社を取り込み挑んだYahoo BBその他の競争と一脈通じて実に面白いです、そのYahooもGlobalにはGoogleのSearch Tecnologyの前には敗色濃厚。 そこでGoogleの敵は誰か? EUを始めとする各国政府による規制か?

300TE おばあさんが戻ってきた

金曜に車の修理が終わり戻ってきた。 
始動時のもたもたも無く少し中高速で走ったが水温は85度で微動だにしない。 (前は信号で止まとするすると100度まで上がりFunが回りだした。Oilが冷却水にもれ豆乳のようで目詰まり状態だったらしい。)アイドリングも500回転をほんの少し超える程度でまったく変化しない。 Steeringもきりはじめのもたもたしたいやな感じが消え足回りも以前の300SDと同様かE230よりはいいかもしれない。 100Kほど田舎道で慣らしてみたがそれなりの感触になってきたので満足、期待していた燃費はとくには改善してなく6K程度のよう、Engineは旧Typeの103型で古いメカの塊の噴射Pumpとかでアイドリング中に無駄なGasがどうしても発生して104(Digital Controlらしい)と比べると10%は悪いらしい。 E230は4気筒だったからか8-9Kぐらいは出ていたように思うが今Gasが110円になったのは大きい。 満タンで1万円だったのが6500円ほどになったので少しは気にならなくなった。 Recall listには特にpendingは見当たらなかったのはよかった、しばしおばあさんの状態を観察しながらリハビリを続けそれから遠出しよう。

光 Internet

先週Nxx光から管理しているApartのグレードUpに光Cableを設置するofferが着た。
もちろん工事費もRunning費も家主負担なしで各戸に100Mbを提供できるらしい。 既存の電話Cableを使えばVDSLで100Mb、電話が引いてなくても光を配線すれば1GbのNGNまで対応できるらしい。これによってIPTVやらのSvcをApartの付加価値として入居者や見込み客に提案できるので現場調査を依頼した。

JxxMも昔、無料で同様の話がありましたがCable TVで当時はMax 10Mbも行かなかった記憶がありその後問い合わせたところあまりいい提案が無く断念していた。 競争激化で光のutilizationがPlanどうりにはいかないので苦しいに違いない。 PCの購入時は光やCableを入れると5万ぐらいCash Backがついていたり、価格.comでも相当なPromotion Planが目白押し。

小堀では光のお試しが初年度月1700円ほどだったと記憶していますが2年目は6500円か(?)。 とても週末Mailする程度では高すぎるのでADSLのお試し1060(?)円に乗り換えた、2年目も3600円ぐらいでかつIP電話つきで、局から2.5Kmはなれてますが今のところまあまあ満足。 IPTVをやりだすならまた光に戻すしかないがしばらくは様子を見る。 IPTV用にHome Theaterも液晶もProjectorも置いたが畑仕事が忙しく、BroncにもろくなContentsが無かったのでたまにツタxでDVDを借りながら見てる。 ツタxも苦しいらしく半額Sellをやるがそのときのみ駐車場がまんパイになる程度、こんな田舎でIPTVと競争し店も24時間開くようになったが果たしていつまでもつんだか? 今月はNHKがアーカイブスの有料配信事業を開始した。 Titleも100ぐらいはある。

2008年12月13日土曜日

小堀はどこか





















小堀(おおほり)は茨城県取手市ですが利根川の千葉県側にあるぽつっと出島のような100戸の小さな集落です。江戸時代から江戸と茨城、東北をつなぐ大動脈として舟運を生業としてきました、当時は佐原、木下と並ぶ河岸のひとつとして栄えました。

上の写真の鍵型の古利根沼には昔の利根川の面影があるでしょう。 小堀は明治時代の利根川河川改修にて取手市街地から切り離されました。 現在の利根川の上方向が取手市街地、沼を境に下、左右は我孫子市、沼の対岸の森は我孫子市市民のTrust Fundの森です。見えませんが左方向にJR  常磐線が走り、利根川の河川敷手前側が東我孫子CCその右端のrt170のMarkの右上が小堀の渡し場で今でも取手との間を往復しています。住民は無料、外部の方は100円です。

2008年12月12日金曜日

東遷と小堀

実は利根川は江戸時代まで東京湾に流れ込んでいました。 江戸幕府が現在の形に銚子に向け太平洋に流れるように大工事を起こし治水と流域の一大農地造成を貫徹したのです。 これによって当時世界最大の都市であった江戸100万人を流通の整備の観点および農地の拡大により養ったのです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E6%A0%B9%E5%B7%9D%E6%9D%B1%E9%81%B7%E4%BA%8B%E6%A5%AD


その後、明治政府もたびたび氾濫する利根川の治水工事を進めました、小堀(古利根沼は昔の利根川)を取手市街から切り離し現在の形になったのです。 小堀は江戸時代から代々高瀬船を要し関宿を経由、江戸川、中川、小名木川を経由し米、肥料、魚加工品等を江戸に輸送する業で繁栄したのです。 関宿の向の境町、5Km川下の木下、柳田國男の布川(フカワ)も同様に運送業、旅館、倉庫業や金融業もあわせ繁盛したのです河岸とよびます。 小堀では多数(300名もいたとの記録があります)の船を引く労働者に対して銭湯を船の上で提供しかつ情報交換の場を提供する湯船がいくつもありました。

小堀の渡し

今でも小堀と取手市内を結んでます。 住民は無料、一般は100円。 今も1時間おきに定期運行していますが実態は観光渡しのようで利用者はきわめて少ない。昔はこれ以外交通手段がありませんでしたがいまは無料巡回バスのほうが正確で本数も多い、早い。

以下を見てください。

http://fwga5977.cocolog-nifty.com/donburi/2008/06/post_710b.html

明治時代の利根川の改修で取手市街から切り離されるときに住民の条件闘争で無料提供を約束させたそうです、沼の半分を個人に払い下げたのも同様でしょう。 個人が大きな水面をお持ちなのは実にユニークなことです、水面を活かし養魚場もあったようですが今ありません、今は小さな船着場をつくりボート遊びをしています。 今でも鯉、フナ、大きな亀がたくさんいます、なぜか亀は季節には庭を徘徊します。

Manner

わけもわからずBlogをはじめましたが経験者からAdviceを受け、いくつか編集をしました。個人的な記録を残したいのが主な動機ですが、(何せ数日するとみな忘れてしまうので)公開する以上はそれなりの約束があるようで勉強になりました。

2008年12月11日木曜日

小堀の桜



















お向かいの旧家は沼を払い下げられていて沼の中央までが私有地です。 屋敷と沼との間の河岸にこの桜の木があります。 左がお屋敷、右が沼です。
我が家は左方向でお屋敷の向かい側にあります。


















私の一番好きな桜の季節の小堀です。
桜の木々と完全にシメトリックな水面の影がなんともすばらしく大好きな一枚です(手前の釣り人が邪魔との声も)。 小堀の何百年も変わらないゆったりした雰囲気を感じさせてくれていると思います。 左が南、奥が西で両方とも千葉県我孫子市、右が北で小堀 茨城県取手市、手前が利根川 本流への水門。

北側


















この辺での知恵、少し前までクーラーは不要で夏は葦づでひざしをさえぎり風をいれて涼を取りました。
手前のWood Deckは一本60kgの橋梁枕木を40本並べただけ。

こちらは北側で50坪ほどの庭で植栽や岩の池があります。 今回のreformでは南側の庭はおおきくは手を入れず、憩う中心を北の庭を眺めるように大きな開口部のLiving、Dinningを増設しこのWood Deckから借景の梅林をとうして利根川の土手まで見通せるようにと、まったく裏返しの生活設計でこさえたのです。 南からの入り口には大きな土間の後が有りましたがそこと和室、Livingを One Flatにし柱を抜けるだけ抜き、Home Theaterを設置したのです。 ですから南の玄関を上がりDoorを開けるとそこがTheater、その先がLiving そして一望に庭や畑、土手が望めるのです。 

街中ではないので深夜は人影もまばらですから防犯に無線Lan、携帯連動暗視カメラ、センサー等々室内外にかなり力を入れて作りこみました。


















北側のViewです、赤い屋根が増築したLivingや事務所の部分。 左が300年のえのき。屋根の向こうの木々は古利根沼対岸の我孫子市の自然公園の木々。手前はお向かいの3000坪の梅畑。 200本の梅その他が植わっていて、梅を越えて利根川の土手が見えその河川敷が東我孫子CCの5番Green。 小堀の渡し船着場で取手市外にひと漕ぎ。

2008年12月10日水曜日

300TEはおばあさん


これが問題のおばあさん。
15歳か? 運動不足の後で少々Sportを始めたら骨折、筋肉痛、アキレス腱切断、心臓不整脈。。。
困った困った。

300TEは大不調

目茶不調で5月に購入以来5回目の入院です
10月に草津温泉に高速を使って行って500Kmほど本格的に揺さぶって以来さらに不調です。

1. 草津から返って暫くしてFuel Pumpが2個とも壊れてEngineが掛からづレッカーにて入院  <生まれて始めてレッカーで移動
2. Oilが冷却水に混じりだしガスケット交換  <結構な仕事
3. PW Steering PumpのゴムPipe破損にてOil発煙
4. PW Steeringが効かなくなる症状あり、ファンベルト・テンショナー交換
5. Fuel Levelが不安定でゲージ交換
6. Engine Mount交換
7. Speed Meter Wire切断にて交換

8 つでにSuperで当て逃げされrear lampを破損交換

購入直前の3年間で5000Km(いま70,000Km)しか走ってないのでありとあらゆる物が固着したのでしょうか?

小堀の週末 冬支度

昨日のことは記憶があるが土曜日のことは中々思い出せない、
思い出しながら。。。。。
小堀で枯葉と戦い自作した堆肥場に詰め込んでは米ぬかや鶏糞や土やらを何段も積みあげる作業をしたことは間違いない。 だんだん思い出してきて自転車のパンクを直したり年末の挨拶に行くたびに大根や隼人うりをたくさんもらったりした。 皆さんNHKや新聞でみてXXX大変だねと。 
我孫子温泉も行った、またIp電話が入ったのであちこち電話を掛け捲って遊んでいますが今年は八早湾の牡蠣が絶好調で注文したり筑波の自然農場に乾燥芋を注文したり。 午後5時には真っ暗で7時には何もやることが無く寝てしまった。

昨日も基本的には前日と同じで違うのは朝一に光のDisconに業者が来た今後はADSLで我慢。その後増築部分の屋根の上に落ち葉が大量に積もってたのを見つけて落として焚き火したり、あとはなんだか? 我孫子温泉も行った、図書館は行かない、昼はみのり屋でラーメンも同じ。 一番の違いは昨日は朝が非常に冷えて今年の冬始めて氷が張ったこと。
そうだ思い出した、籾殻を巨大な袋で3つ譲っていただいていてそれを一号畑(6坪)に2つ、二号畑(2坪)に1つ入れてすきこんだ、ずいぶんと土がふかふかになり後は腐葉土が春には出来上がるのでそれを入れ込んで生姜を作る予定。 その農作業が大変で夜は即ねてしまう。 
このあたりの米はうまいらしい、土はもちろん最高ですが水は巨大な井戸を部落で持っていてそれで清潔な水をまわして栽培するのでうまいそうだ、来年の分は予約しなくては手に入らないらしい。ぬかは無料でいくらでも手に入る、籾殻は200円で分けてくれる、200円は我孫子市の汚水処理場の
処理用に買い取る値段だそうだ。














東の端から見た古利根沼です右が小堀、左が我孫子市の市民Trust Fundで生き延びた森です、森の中には古城跡があり取手方向の眺望を活かし監視していたのでしょう。


小堀の隠れ会員制レストラン。 眺望がすばらしい。

Blogの使い方がわからない

1行作成したのはいいがその後追加を簡単にする方法がわからない。 何かをやってるうちにここにたどり着いた??? さて 簡単に追記できる方法はどうしたものか?

2008年12月9日火曜日

小堀日記を開始する

今日から小堀の日々をメモに残すことにした。