2011年6月7日火曜日

サバイバル

午後からお向かいのお宅にお茶に誘われました。お庭には樹齢100年余の皐月が何本も満開ですばらしい。話は今回の被災から将来の関東圏での震災時のサバイバル計画に移り、Beerを3本もいただく程の大盛り上がりになりました。
大前提は首都が消失すれば我孫子市からの支援はもちろん橋が落ちれば(落ちなくても、今までの対応を見ると)取手市から期待できないから、1年は100戸で自立できなければならないだろとなりました。衣食住に話は移り幸い井戸は無数にあり(大中小で50-100本あるだろう)部落で発電機も保有していますので確保できる。ガソリンは車にもありますし農耕器具用の備蓄もされています。へっつい、炊き出し大がまを引っ張り出せば梅林や藪や川原から薪や竹を無尽蔵に確保できます。食材は自家菜園のみならず農場があります、店がありませんので冷凍室(庫ではありません)をお持ちの方がいるほどに備蓄があります。米、味噌、山菜、果実木もあります、さくら湖(釣堀)には魚がたくさんいます、馬も何頭もいます。仮設トイレのリースを生業にしている方が居ますので大量にあります。一方今回も液状化が見られましたがすべて大昔の利根川跡に沿っています住宅地では出ていません、半兵衛さん宅は関東大震災も経験しましたが今回もまったく被害はありません。(ただゆれで土台や大黒柱がすれぎーぎーと音がしたそうです。元はわら屋根で柔軟な構造なのでしょう。)ここは有史以来の突き固めた砂地で埋め立てではありません。まかり間違って火災やらでいくつか失っても学校はじめいくつもの建物を組み合わせれば十分に対応可能、もし野営する状況ならSpaceはどこにでもあります。
人材も豊富です大正、昭和生まれ戦災を経験した方、農業経験者はもちろん、大工さん、配管工、植木職人、教員経験者、金属加工、電気屋さんもいます成田航空学園には教諭も学生もいます、工具や重機があります。救急薬品も用意されていることでしょう。(飛行機もヘリもたくさんありますがどれも飛べません。)自動車工場も一軒あります、舟も何槽もあり自前のPierをお持ちの方も居ます。もともと舟運が小堀の生業ですから災害時に助け合いの精神があります。結論は1年暮らせる資材や人材は何とかなりそうです。そこで纏め上げるLeaderを認定し育成し継続的な準備をしていくかにかかるとなりました。今が皆さんに賛同していただける旬の時です。