70日を過ぎました5分の1年です。今日は国会討論を見ていますが中身は不毛です、質問する側も過去のゴミをつつくばかりで全く時間は止まったままです。臨界の心配をして注水を止めたのは誰か、斑目委員長と管との間の発言をめぐってどの党も時間を使います。どの質問も答弁も同じですから何をやってるのか困ったものです。国民の政府への不満の一つはSpeedで、もちろん政府の執行能力もですが野党の危機意識も極めて不満です。どうしたらいいのでしょうか?
NHK BS特集原発廃棄物を見ました、ひどい話で今でも再処理工場は合法的に大気中や海中に汚染物資を出し続けています。なんと海洋投棄は国際法で禁止ですが工場からパイプで低Level廃液400Klが毎日廃棄されているのは合法だそうです。原発は安全で燃料は高度にリサイクルできると理解していましたがとんでもない、使用済み燃料の80%はリサイクル出来ず劣化ウラン(例の戦車を貫通させる砲弾の材料)となってシベリヤ(近々ではモンゴルが日本と調整中)などに山積みされているそうです。再処理工場は汚染度合いがひどく世界で3箇所しか稼動してなくて殆どの燃料はそのままPoolで水につけ10、000年単位でモニターし飛行機の墜落やテロにあわないような警備が必要ですがそれが世界で400-500箇所もに分散しているのを知りびっくりです。台湾にも大量に積まれて居るように見える絵が出ました。 極秘の原爆技術の延長で原発が展開され情報は全く公開されないままとてつもないことが起きているようです。
当方は途方も無く無知でした。
2011年5月3日火曜日
銚子マリーナ
マリーナではまだまだ大型クレーンやTrackが瓦礫の整理をしている段階です。ねじ曲がった桟橋、水没した船も20隻前後が沈んだままです。既に多数の船がYardに引きあげられていますがどれもひどい状態で中には船首をもぎ取られたのもあります。Yardに引き上げられた中にさつきを探し歩きましたが残念ながらありませんでした。Club Houseは波が貫通しパティションが押しつぶされよく死人が出なかったと思う惨状です、何故か屋根は瓦一枚も飛んでなく美しい橙色はもとのまま健在でした。
以下の被災直後の写真集ではマリーナから道路を挟んだ幾分高い大学校舎1Fのカフェや守衛室も水没し大型艇が校内に運ばれた様ですが今は被災した面影はありません。
https://picasaweb.google.com/
防波堤もそれなりに高くさつきが外洋に運ばれたと は思えませんが校内にまで船が運ばれた事実から引き波で護岸を越え持ち去られたのでしょう。水没している船やYardに揚げられた船を見回しても40-50槽しか残っていませんし浮き桟橋は大半がなくなっていますので優に半数以上の艇が持ち去られた様に思いました。残念です。
2011年4月24日日曜日
2011年4月23日土曜日
潮来、神崎町に
潮来には橋がたくさんありますが道路が陥没したのか橋が隆起したのか段差がひどくやっと走れる状態です。写真の潮来駅の周辺では電柱が軒並み斜めになりその根元は大量の砂が噴出し液状化です。また道路の多くは冠水していて排水設備が機能していないようです。東北と比べれば生活出来てるのですから被害のうちに入らないのでしょうがかなり大変な状況です。旅館や観光街も以前とは違う雰囲気で暫くは潮来独特の風情は戻らないのかと心配です。
帰りに神崎町に寄りました。神崎祭り2日前に震災にあい中止になりました。仁勇の酒蔵で樽からでたままのシュワシュワのお酒を楽しみにしていたのが残念です。酒蔵の壁や瓦が被害にあっています。幸い馴染みのお酒屋さんが開いていたので大吟醸を仕入れ地元復興に少し貢献した気分になりました。 頑張って祭りも、酒蔵も復興しさらに盛り上げてほしい。
2011年4月20日水曜日
新緑 最高の季節
2011年4月18日月曜日
一気にサクラが咲きそして散り、そして新緑
一月過ぎました
まだまだ余震が続く中で通常は足場につっかい棒を施したりしないそうですが万一に備え敷設をお願いしました。東北の方の被害から比べればなんでもないとして、この際しっかり耐震工事も施そうと準備しています。
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