2011年5月23日月曜日

国会討論

70日を過ぎました5分の1年です。今日は国会討論を見ていますが中身は不毛です、質問する側も過去のゴミをつつくばかりで全く時間は止まったままです。臨界の心配をして注水を止めたのは誰か、斑目委員長と管との間の発言をめぐってどの党も時間を使います。どの質問も答弁も同じですから何をやってるのか困ったものです。国民の政府への不満の一つはSpeedで、もちろん政府の執行能力もですが野党の危機意識も極めて不満です。どうしたらいいのでしょうか? 
NHK BS特集原発廃棄物を見ました、ひどい話で今でも再処理工場は合法的に大気中や海中に汚染物資を出し続けています。なんと海洋投棄は国際法で禁止ですが工場からパイプで低Level廃液400Klが毎日廃棄されているのは合法だそうです。原発は安全で燃料は高度にリサイクルできると理解していましたがとんでもない、使用済み燃料の80%はリサイクル出来ず劣化ウラン(例の戦車を貫通させる砲弾の材料)となってシベリヤ(近々ではモンゴルが日本と調整中)などに山積みされているそうです。再処理工場は汚染度合いがひどく世界で3箇所しか稼動してなくて殆どの燃料はそのままPoolで水につけ10、000年単位でモニターし飛行機の墜落やテロにあわないような警備が必要ですがそれが世界で400-500箇所もに分散しているのを知りびっくりです。台湾にも大量に積まれて居るように見える絵が出ました。 極秘の原爆技術の延長で原発が展開され情報は全く公開されないままとてつもないことが起きているようです。
当方は途方も無く無知でした。

2011年5月3日火曜日

銚子マリーナ

リホームをしていただいた波崎の大工さんの所に出かけ、帰りに銚子マリーナに寄りました。
マリーナではまだまだ大型クレーンやTrackが瓦礫の整理をしている段階です。ねじ曲がった桟橋、水没した船も20隻前後が沈んだままです。既に多数の船がYardに引きあげられていますがどれもひどい状態で中には船首をもぎ取られたのもあります。Yardに引き上げられた中にさつきを探し歩きましたが残念ながらありませんでした。Club Houseは波が貫通しパティションが押しつぶされよく死人が出なかったと思う惨状です、何故か屋根は瓦一枚も飛んでなく美しい橙色はもとのまま健在でした。

以下の被災直後の写真集ではマリーナから道路を挟んだ幾分高い大学校舎1Fのカフェや守衛室も水没し大型艇が校内に運ばれた様ですが今は被災した面影はありません。
https://picasaweb.google.com/seayouth/20110312110312#5583041476526823602

防波堤もそれなりに高くさつきが外洋に運ばれたと は思えませんが校内にまで船が運ばれた事実から引き波で護岸を越え持ち去られたのでしょう。水没している船やYardに揚げられた船を見回しても40-50槽しか残っていませんし浮き桟橋は大半がなくなっていますので優に半数以上の艇が持ち去られた様に思いました。残念です。

2011年4月24日日曜日

梅 枝の焚き火

昨晩がうそのような快晴ポカポカの日曜日です。恒例の梅を剪定した大量の枝の焚き火です。かさばり4tトラック4-5台分のかさが有りました。毎年これほどの量が出るのですから木々の活力はすごい。火をつけ放置して数日は残り火があり最後に残った灰は畑にすきこんで肥料にします。
残念ながら今年の梅の実の付き具合は不作の兆しです。昨年夏が暑すぎて木に負担が掛かったのでしょうか? 一段落したところでタラの芽を採らせていただき恒例の作業はあっと言う間の90分程で終了しました。

2011年4月23日土曜日

潮来、神崎町に

小堀の耐震工事や漆喰の手配その他のお礼とご挨拶に雨の中大工さんに挨拶に出かけました。今日は大工さんは潮来で震災の修復事業をされているとのことで潮来に向かいました。行きながら利根川沿いの住宅も多数屋根瓦が損傷しているのが分かります。堤防沿いの国道も一部不通です、舗装もひどく痛んでひび割れもありいつもは信号のない一直線のドライブを満喫できる道の変わり様が嘘のようです。
潮来には橋がたくさんありますが道路が陥没したのか橋が隆起したのか段差がひどくやっと走れる状態です。写真の潮来駅の周辺では電柱が軒並み斜めになりその根元は大量の砂が噴出し液状化です。また道路の多くは冠水していて排水設備が機能していないようです。東北と比べれば生活出来てるのですから被害のうちに入らないのでしょうがかなり大変な状況です。旅館や観光街も以前とは違う雰囲気で暫くは潮来独特の風情は戻らないのかと心配です。
 帰りに神崎町に寄りました。神崎祭り2日前に震災にあい中止になりました。仁勇の酒蔵で樽からでたままのシュワシュワのお酒を楽しみにしていたのが残念です。酒蔵の壁や瓦が被害にあっています。幸い馴染みのお酒屋さんが開いていたので大吟醸を仕入れ地元復興に少し貢献した気分になりました。 頑張って祭りも、酒蔵も復興しさらに盛り上げてほしい。

2011年4月20日水曜日

新緑 最高の季節

なんとも言えない最高の季節です。特に柿の若葉が素晴らしい、奥の大木エノキも全体がもやっと薄緑で控えめでなんとも言えません。柿は実をつけるように皮をはぐ手術の後なので心配でしたが元気です。なんとか実をつけて欲しいです。 ハーブもすさまじい勢いで立ち上がってきました芽が出た葉が出たでなく立ち上がってきたが適当な程の勢いです、雑草その物の息吹を実感します。 余震の中ですが苗を植え種を撒き、今年も準備は整いました。

本来なら連休前の今頃は新緑をめでに南会津に出かける準備でうきうきですが今年はそれもできなく残念です。何とか全てが収束し心から季節の移ろいを満喫したい。。。

2011年4月18日月曜日

一気にサクラが咲きそして散り、そして新緑

サクラはだいぶ足踏みしていたのですが一気に開花しいつものように13日頃には散ってしまいました。

余震を物ともせずに川端でお花見です。昨年の猛暑の影響か花付きはイマイチで高い枝の先では花の厚みがありません。しかし贅沢はいっていられません怪我もなくたいした被害もなく今年もお花見が出来たことに感謝感謝。日を追って新緑の清々しい景色がすばらしい。なんとか連休明けに福島県南郷に出かけなくてはいけません。

一月過ぎました

我孫子市内では市の東南の端の利根川沿いの布佐地区で液状化による大きな被害が出ました。利根川が洪水の時に出来た沼を50年ほど前に埋め立てた地域を中心に130棟が全壊その他多数の被害が発生しました。幸い市内の自宅も小堀も被害はなかったのですが一棟のApartの櫛(棟)が2m程倒壊してしまい復旧しなくてはなりません。幸い出入りの業者が足場を用意してくれたので臨時補修を済ませましたが本格的な工事に使う漆喰が消えてしまい開始できない状況です。ようやく3分の一250Kを手に入れ残りの入荷を待っている状況です。
まだまだ余震が続く中で通常は足場につっかい棒を施したりしないそうですが万一に備え敷設をお願いしました。東北の方の被害から比べればなんでもないとして、この際しっかり耐震工事も施そうと準備しています。