2011年12月28日水曜日

忘年会 そして 新年会

忘年会は話題が尽きなく人の出入りも尽きなく深夜まで飲みすぎてしまい10時過ぎにお隣に出かけ大浴場に入りBeerを少しやってやっとのことで戻りそのまま昏睡状態。朝お隣から生きてるか確認電話と野菜が大袋いっぱい届いた。お隣は同世代だが孫が10人も居るTwinsが2組だすごい。そこで大浴場が必要で孫達は浴場の大きな窓から直接裏の梅林に出入りする構造だ。平屋のすべて南開放の小学校のようなつくりだ。火曜まで少々酔いが残りおかしかった、新年会はお隣に決まったが少し気をつけよう。

2011年12月23日金曜日

小堀 忘年会

ひどい年だったまだ余震も続くし福島原発も真相は不明よって今後どうなるか不安。何がどうなるか分からない中だが忘年会をすることにした。だからこそ楽しいことをどんどんやっておくしかないかも。今回は日曜午後に小堀当方宅にて行うことに決定、鍋と刺身でもやろうか?

2011年12月19日月曜日

Blog, TW, FaceBook

放射能対策に同期してTWを使い出しその縁でFBもと成りましたがBlogとの使い分けがややこしい。 Blogは小堀中心に日記記録として、TWは放射能事案に特化し特に我孫子市に関連した情報や考えを公にさらし間接的ですが市や特定市議に圧力を掛ける一助に使いたい。FBは個人的な仲間の探索Toolとしてすごい使い勝手がある大昔の知人を手繰りながら見つけ出せた、さらに今後スマホの活用により大きな可能性を秘めているらしい。
使い分けはむづかしいが多分FBに収斂されていくか軸がスマホとFBになりその周辺にTW, Blogがあるような関係になるのだろう。当たり前だが今までのBlogの蓄積が大きくなかなか急には移行できないし今のスマホでは文字のTypeがゆっくりしかできないし画面が小さすぎて字が早く読めない。 どうしたもんか?

不思議な縁

退職前から取手市小堀、我孫子市天王台、両国(清澄白川)を行ったりきたりしていますがこの放射能事件を機会に我孫子市議会、市議多数とお会いしました、自治会長にはNECの我孫子Clubに連れて行ってもらいました。また柏や流山にて放射能と戦う会に入れていただき多くの方とお知り合いになれました。TWもはじめ連日500前後をScanしていますし筑波大や東工大の教授にもお会いしたりWork Shopに参加させていただきました。事件が無ければこれほど急激に地元のみならず多様な知見者にお会いすることはなかったでしょう、不思議なめぐりあわせです。よかったのかわるかったのは別にはっきりしている事は2011 311は忘れることは無いでしょう。911,117(これは神戸大震災ですがたまたま当方と家内の誕生日なので忘れる事はありません。)と同じです。

木下(きおろし)まち育て塾 Off 会

5回続いた木下まち育て塾の講義も終了し最後の日は銚子屋さんで昼食会をもちました。その後印西、布佐在住の方が連れ添って小堀を訪ねてくれました。10時からいつものように小堀の歴史をお話した後に利七家のお庭に勝手に入り込み川端(かばた)に抜けて古利根沼を眺めます。昨今お知り合いになった芙蓉亭脇の邸宅のお庭にも入り込み沼を西から東に向け一望します、絶景でみなびっくり歓声をあげました。小堀の歴史碑を見たり水神様をめぐって小1時間のMini Tourです。
お昼は湖北ル・ポアロに移動し野菜尽くしを堪能、金澤Onwnerにお会いし2時過ぎに会は終了です。木下 滝田栄と金澤氏が親交があることを塾で滝田家のご当主からお聞きしたのを思い出しました。小堀から木下に今年はさらに広がった世界でした。

2011年12月18日日曜日

白鳥の沼@本埜(もとの)村

30kほど利根川を下った成田近郊の白鳥の沼。長年の餌付けの成果、通路には石灰が撒かれ鳥インフルエンザを防ぐ配慮もしてある。大変な努力だ、1200羽が飛来し昨年の7割り増し。小学校や農家の皆さんの努力に頭が下がる。周辺では近隣で取れた雑魚や川えび、地元野菜の販売所や甘酒も無料で配られる。たくさんのマニアが大きな望遠レンズをつけたカメラで白鳥の飛ぶ姿を狙っている。

初冬の小堀

久しぶりに利根川土手から自宅を新しいカメラでパチパチ遠望。この景色が一番好きだ。なんともいえない小堀のゆったりした自然な雰囲気を伝えてくれる、右は嘉平宅、真ん中平屋が我家、
その奥がお向かい利七家の木々、その奥の緑が古利根沼を越えて対岸我孫子市のTrast Fundの森。下は利七家の梅林から当方宅を望む。この梅林100本が当方の北側借景、真ん中の少し低めのえの木が我が家との境。ゆったりした風景がなんとも大好きだ、すばらしい。

2011年12月7日水曜日

小堀の晩秋

我が家のえの木もすっかり葉が落ちはじめ晩秋のたたずまいです、小堀の入り口にそびえる2本の銀杏もとおに銀杏は落ち黄金の葉が舞っています。すでに師走も7日あと3週間と少々で新年です。ひどい一年でした平成24年は何とか安定した年でありますように。

2011年11月22日火曜日

庭仕事:大枝挽きおろし 柿の根切り

大風で折れ地上5,6mでぶらぶらしていたえのきの枝を下から紐をかけ引き下ろしました。釣り竿、篠竹をつないで6M程の竿を作り握り拳程の石を紐に結んでその枝に引っ掛け、ブランコのように揺さぶり落としました。上にいるときは小さく見えましたが30kは有にあるようなかなりの大きさです。隣家の屋根に触るようなことは無いのですが落ち方によっては出窓にぶつかりそうでしたので一安心。

ついでに柿の木の根を堀出し1㎝程の根を2本切断しました、昨年までは毎年1つしかなりませんでしたが冬に幹を傷つけ今年は24個に大層甘いおいしい次郎柿です。後は来年2月に番線で幹を絞り上げますが樹齢は15年以上ですから100の大台を期待しています。

2011年11月11日金曜日

南会津 月例源泉掛け流し温泉の旅

いつものように木賊 井筒屋さんへの旅です。幸い天候に恵まれ紅葉をめでながらの珍道中です。これは行き湯の花温泉を抜け唐沢峠から村を望んだ冬を迎える里山の一枚です。雲の切れ目から差し込む日差しで山や部落にグラディエーションが効いていてなんともいえない風景です。何度も通っている湯の花や木賊ですが紅葉の終わった直後の景色はまたいつもとは違った風情があります。また頂の木々から葉が落ち幹だけに成りあたかもすだれか櫛のように向こうが見えます、すると山が一回り小さく見えるから不思議です、初めての里山に迷い込んだような錯覚すら覚えました。
帰りは日光方面に回り、下はイカリ湖、奥鬼怒川を散策した際の一枚。真岡から単線、一両編成、社内清算の真岡線で下館に(日曜ならSLに乗れた時間帯。)そこから関東鉄道常総線で取手を経由し我孫子に戻りました。

2011年11月7日月曜日

波崎 三国屋さん

小堀をリホームしていただいた和建築専門大工 三国屋さんのご自宅です。新た整備された茨城側利根川Super堤防の川に面し小見川や銚子を望むすばらしい景色の中に建設中ですが一言で言えば日本建築の粋を結集した建物です。
  
柱やはりは大きすぎて機械では加工できず昔ながらの手で加工したそうです、すでに刻み始めて1年、一応仮住まいが来年の9月ごろ目標だそうです。このような家屋の建築は寺や神社以外ではほとんど見ることも無くなり技を伝承するためにも記録に残す価値があります。まさに木と技の塊です。末尾の写真に尺五寸の大黒柱と極太のはりを写しておきましたこんなのが立て横無数に組み合っています。

野田市スカイスポーツ イベント事故

大変残念な事故です亡くなられた方のご冥福をお祈りします。ガスがかっかた霧さめ模様の気象条件も影響したのでしょうか?例年出かけ、以前一緒に飛んでいたMotor Para Clubの仲間がDemo Flightをしているのを見ていました、心配です。野田は市として各種のSky Sportsを全面的に支援し推進してきましたが今後どうなるか厳しい状況。

-------以下転送-----------------------------------------
空まつり開催中にPPGによる飛行を行なっていた2機の接触事故により、山梨県よりお越しの中嶋さんが亡くなられました。お一人が軽傷を負いました。中嶋さんのご冥福を心よりお祈りいたします。 今回の事故原因の究明と再発防止、今後の対応について等、臨時役員会を開催します。日程場所が決まり次第役員の方にアナウンスいたします。野田スカイスポーツ振興会では野田スポーツ公園(木野崎)での活動をしばらく自粛します。期間等の詳細については臨時役員会にて決定したいと思います。また、その他の場所での活動についても各クラブの判断によりますが、臨時役員会で詳細が決定されるまで自粛していただきたいと思います。

野田スカイスポーツ振興会 
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2011年10月31日月曜日

木下まち育て塾 寺子屋

10年越しのリホームが完了し新装なった木下 吉岡家の土蔵の開所セレモニーとその後土蔵の2階で5回連続セミナーの第一回村越さんの講演がありました。多分3回は聴講させていただいていますが何度お聞きしてもわくわくする明治時代の利根川 舟運の盛衰記です。今後の講演に期待が高まります。土蔵の中は風が抜け少し寒いのですが小堀ほど古民家のにおいはしません、空気が抜けているからでしょうか?次回は成田線よもやま話とか、しかしたくさんの郷土史家がおられます歴史の厚みでもあります。さて下側の写真の中で私はどこに?

2011年10月27日木曜日

簡易線量計

昨晩手にした簡易スペクトラム Meterを導入中。思ったより線量が弱くSample不足で線種同定ができません良いことなのでしょう2F,3Fとも補正させ0.12μSV/H程度です。明日はウクライナの安価なGM管Meterが来ますのでそれもcalibarationして持ち歩きます。こちらは大雑把ですが反応が早くHot Spotを探すために使い反応があればスペクトラム Meterで測定しPCに保存します。PC上の専用Application PgmにいくつもBugがありますが最新のβ版をとり寄せて使い始めました。

2011年10月26日水曜日

出来事 備忘録

結構多忙な日々です。 
いよいよ北柏に続き我孫子でも高濃度放射線Spotが発見され臨戦態勢に。とにかく線量線種を把握しなくては始まりませんが市に問い合わせても埒があかなく、空間線量と線質を同定できる放射線スペクトラム測定機一台とウクライナ製の2つを購入しました。Cs134 Cs137をそれぞれ分けて測定できると2年後の空間線量自然低下を予想できる事ができます。さらに自治会長との横横の連携を進め会議を持ちます要は自主的な測定と除染のProcessを構築しなくてはなりません。

一昨日はお酢で有名なMZKN主催の里川Field Workにて隅田川、小名木川、神田川、日本橋川に船を出しました。しかし当方の鬼門 多摩美大から講師が Leaderで出張って来ましていつものように訳の分からぬ講釈です。(KAE研修でTeamに付いた多摩美大教授と衝突したのが今でもトラウマに。)いく らなんでも隅田川のような都市一級河川を里の川と称するか正気でしょうか?小堀でお向の私有する古利根沼に自宅庭から舟を出して遊ぶのとおまちがえでは?時間もはしょり30分も短縮して終了、とんでもないのを講師に呼んだ MZKNさんは大丈夫か心配。それにしても多数の社員の皆様の休日出勤、お弁当に送迎TAXI、貸しきり船代とご苦労さまでした。

週末は娘夫婦の@両国住まい購入契約、我孫子市音楽会、木下で利根川舟運セミナー、9日には木賊源泉かけ流しの旅まだまだ続きます。そうだ思い出した、明日午後はメタボ健診だ。

2011年10月13日木曜日

Twitter

しばらく投稿をサボっていました。放射能汚染についての活動をやっていますが中心はTwitterとUstreamでのVideo配信で連日500程のツイートをScanし5,6個つぶやくような具合でこちらに書き込むことができませんでした。外部被爆 空間線量0.8μSV/Hが自宅の隣天王台西公園で発覚してからのめりこんだわけですが今では土壌、食物による内部被爆への影響でBq/Kgに拡大しさらにCsだけでなくSrやPu線種にも広がり事態は深刻です。線量は流されいくらか下がってきたようですが移動したのみで集約化が進み1μSV/Hでは驚かなくなりましたが異常です。多くの市議や個人またNetを通じ紹介されたセミナーを通じ知見所有者から情報を入手しています。しばらく2-4年は大変です。

2011年9月23日金曜日

台風一過

今日も後片付けです、大木が倒れるような被害は有りませんがローズマリーが2本とも横倒し紫蘇も2本ともモロヘイヤも同様、柿は大したもので実はひとつも落ちずに葉だけ少々。野菜は皆倒し元に戻しましが葉がDamgeをうけて今年はこれで終わりでしょう。エノキは空中で大枝が何本かぶらぶらしていますもちろんおれて落ちたのもあります、かなりの規模で空が明るくなりました。なんだかんだ集めると一山になり乾き次第焼いてしまいます。

ミョウガが面白い、なぜだか猛烈に出てきて40個程摘みました。まさか放射能の影響で緊急避難でどんどん出たのでは無いと思いますが記憶にない猛烈な出方です。今年は梅がだめでいくつか植生の異常が気になります。

2011年9月21日水曜日

台風効果

まさか台風で追加の染源が福島から来ることはないだろうが気になるのは空間線量の変化。側溝は流されて行ったが流れてくるのもあるはずがどうだろうか?屋根や樋はそれなりに洗浄されたと期待したいが室内や樋の流れ出口はどうなったか?問題は木々の小枝や葉に付着したもので葉が落ちどうなっただろうか除線した後の校庭の変化はどうか?沼に膨大な降雨が流入したわけだが水量が安定し通常に戻ったときにどのような変化があるだろうか? 

もしいくばくかの減少が見られれば半減期以上の減衰を期待したくなる。しかしどこかに集積が進むだけのことではある。

2011年9月19日月曜日

シニアーリーグ 放談会

午前中は小堀にて一級建築士で地元建設会社社長と歓談。さすがそれなりの会社を経営されている方との会話は尽きることなく楽しい。経営や人材育成から放射能対策から小堀のお屋敷の柿の実の具合、小堀 Life.....

夕方はひょんなことからお近づきになったYさんTさんと我孫子市、議会のIn Side Storyをネタに大放談会を持ちました(周りの方はどう思ったことでしょう)。ともにヨーロッパでの駐在経験があり、YさんはMr.我孫子市議会Data Baseです。Tさんは社長をRetire後還暦前後にLogistic研究にドイツに駐在、それだけでなく一芸二芸三芸にも秀で余裕の人生を楽しんでおられてうらやましい。絵心も音楽にも造詣が深いYさんの随筆が我孫子図書館にあります、CC 理事。

次回は湖北ポアロか柏の飛龍にて流山の方も交えてさらに楽しもうとなりました。飲んだ後にもう一軒と老舗のお蕎麦屋さんにはしご。久しくはしごした記憶がない、至福の時間をすごさせていただきました。

車、耐震工事、旧芙蓉亭

40才から19年間3台乗り換えたBentzとお別れし早くも1年10ヶ月。300SD, E230, 300TD.
普段は至極便利なM菱 Coltも商談や一日500Kmも走るとBentzが懐かしい。CDI WagonやClean dieselは燃費もトルクも最高らしい。でもまづは耐震工事をやっつけよう。毎日草刈、維持が大変だが非日常が日常になり生活そのものに、次の地震被災はなんとしても避けたい、三国屋さんに電話した。

奥の旧芙蓉亭(向かって右側)が売りに出てOpen Houseの日。沼の眺望は最高だが土地は思いのほか狭く60数坪、入れ物はかなりでかく吹きぬけも大きく冷暖房は大変だ、それにいい値段我が家の土手方向東側の船の館の倍だ。売れたかどうか?少々気になる。

我孫子温泉ピンチ

温水配管が男子更衣室近辺で破裂し高温水が吹き出たそうで最低1週間はお休みになりました、はて困ったこまった。 地震の瞬間その部屋で棚を抑えていましたが揺れた揺れた、それから半年なんとか持ったのですから。もしあの時、高温水が吹き出ていたら........!!??

NHK アメリカから見た福島原発

福島第一 1-4号機 GEのMark 1原子炉を中心に事故は原子炉及び福島の設備に構造的作りこまれた人為的なものとの証言です。GEはCostを下げるため格納容器(圧力容器ではない)を極めて小さな入れ物にし各種補機で補う設計、1980年代から脆弱性は認知され地震の無い中部東海岸でしか認可されていない。ひどい話です。8時間で水素爆発に至るシナリオどうりの展開であったとの証言にいきどおる、班目は本当に痴呆の大馬鹿野郎だがNSCもIndustryの原子力村も隠蔽体質は同じ。残念ですが再放送の予定はなくNHK アーカイブスを覗くしか無いようですがImpactがあります。

ひとからもらった製品を担いでもCore技術は手に入れることは出来づましてや研究開発段階の失敗やらの膨大なKnow Howは競争力の源泉ですからそう簡単には開示しません。GE内部やNSC内部でも欠陥原子炉との認識があったがさらに福島ではBack UPの発電機の地下への敷設、同一設計というとんでもない脆弱性を作りこんでしまったといっています。ただ電源が有ってもメルトダウンはさけられないほど損傷しているとの意見もあります、何十年か後に冷却がうまく行けば事実を確認できますが。。。 そんな代償は天文学的な物となってしまいましたがまだ国内で半ダースはこの欠陥Typeが稼動しているはずです。 

この構造はJAL B747の墜落事件とまったく同質であれはしりもち事故の後部隔壁損傷をBoeingがバンソウコウ工法でいい加減に直しそれを見抜けづ受け取ってしまった事からおきたものです。中国では外国からから盗んだ新幹線技術を元にして大事故です、今のところ日本では大事故はないがJR北海道の社長が自殺するくらいですから油断は出来ません、何かとてつもない事実が隠蔽されているのでは.....

Apart LPG から都市ガスに

都市ガス変換の提案が来た。LPGは7年の機材込みの包括契約で来年切れる。変換RiskとBenefitを詳細に聞き出し文書化している。12機の湯沸かし器とGas Table、5台のAir conを一時に入れ替える。資産価値はあがるだろう入居募集も有利になるだろう。Project Planを完璧に用意させる。

近況

月例源泉かけ流し温泉の旅が再開できた来月には再び紅葉を愛でに出かけなくてはならない。楽しみだ。畑ではなす、モロヘイヤ、にがうりはまだだ元気だがきゅうりもトマトも終わってしまった。アスパラが元気に成長しているが収穫にはまだまだ。雑草はもっと元気で困った、除草シートを敷き込むとか何とか作業の総量を減らす方法を考えたい。柿も順調、庭師に見てもらい肥料のやり方を教わり来年も皮むきをアドバイスされた。15個ほど実が大きくなっている。

Blogには放射能関連のActivityは載せないようにしているが汚染対策に関連し市議ともまだGameを続くけている。市議は選挙が近くなり気もそぞろで神経質に成っているがMr.我孫子市議会DB(Data  Base)と交流を続け全体を俯瞰しながらやっている、明日は長老も交え大放談会をもつ。10日ほど前に東大の関係者のセミナーに出向き非常に有益な知見を受けることができた。相馬や那須町にも寄り先進の放射能汚染対策事例をお聞きできた。我孫子の動きとはだいぶ違う、それらの知見を盛り込んだMaster PlanをDraftし具体 的にまとめてみた。細かな情報や多様で細かな意見をすべて受け止め整理する入れ物でもある、これで優先順位がはっきりするだろう。

TWやFaceBookを使い始め猛烈なSpeedにて関連Teamと情報交換やMsgの拡散を行っている。TWはMLともMailともBlogともHPとよりもかけ離れたSpeedとPowerを持っている、U-TUBEやBlogやHPともLinkし相乗効果を上げている。すごい時代になったがふりまわされないように自分で考える事は昔から最重要だ。

2011年9月15日木曜日

源泉掛け流しの旅:再開

いつもの連中としばらく中座していた月例源泉掛け流し温泉の旅の再開です。今回も大震災直前に出かけた木賊温泉です。その後7月の大雨で以下のように巨大な岩が二つ周囲の柱を壊し中に入り込みました。さらに今月 台風12号でも水没し
泥を書き出し再生しました。今年は本当に大変な一年です。自家源泉が止まってしまった旅館に泊まりましたが共同風呂に近く風情も十分で堪能できました、アブも居なくなりすばらしい秋日よりでした。今年は夏の暑さが厳しく例年10月20日ごろに紅葉の季節となるはずですが主人いわく木々が疲れすぎて落葉もすでに始まりいつもとは違うのではと気をもんでいました。3重苦4重苦の木賊です。

2011年9月6日火曜日

初めての我孫子市議会傍聴

入り口で質問集を頂き議場に入ると50-60人は優に入ることができる傍聴席にすでに5名ほどの方が居られました。先日お会いした我孫子市議会のDATA Base Yさんが陣取られて居るのを見つけ横に席を取りました。すべてVideoにとられ後日WebにUPされ常時館内でも放映され控え室には市の職員が待機する様子も見えます、傍聴席から市側は相対する形になり議員は真上から覗く形で市議の動向がよくわかります中には居眠りしてるのも居ます、また教育長の答弁は棒読みそのものでPresen Techの研修受講が必要です。川村市議が取手市小堀を我孫子市に繰り込む案を市に質しましたが何か住民の意向を誤解したような見解を述べています、質問の背景を聞きたださなくてはなりません。 Yさんから各市議の質問履歴や背景をお聞きでき参考になりました。

2011年9月3日土曜日

台風と今月の源泉掛け流し

はるか四国の台風ですがいろいろ被害が出始めています。既に利根川河川敷では水位の上昇から東我孫子CCのFairWayが水没しました、水深は浅くGreenは残っています。経験則でこの程度では被害はたいした事がなくかえって水が供給され芝は元気になったことがあります、どうなることやらやきもき。

木賊温泉の共同風呂が水没したようで火曜日にボランテアを募っています、数ヶ月前にも水没しました地震の影響で横の川と露天風呂の底との位置に変化がおきたような。。。今月12-13日にいつもの仲間と計画していたのでどうなることやら。難かしければ少し紅葉には早いのですが手白澤温泉もPlanを練らなくてはならないかもしれません。とにかく月例・温源泉掛け流し温泉に出かけなくてはなりません。

2011年9月2日金曜日

出会い、奇運

世の中不思議な出会いが加速しています。先日は市政を議論する会で知り合いになった方の紹介で実にユニークな方にお会いすることが出来ました。早稲田 稲門会、江戸崎CC理事等々一言では形容できないGlobalとも我孫子土着ともなんとも形容しがたい方でした。2時間みっちり話し込みました。
今日は今日で驚きの出会いです。話は長くなります、入谷のMansionの住人が退去して修理が必要になり管理人さんから何でも屋の大工さんを紹介していただいた。破格の手間賃で修理していただき今日白髭橋たもとのご住所に我孫子の野菜を持って挨拶に行った、我孫子在住との自己紹介に自分は関宿生まれだと。関宿なら舟運の要衝ですから当方は利根川舟運の研究をしてると自己紹介をしたら実家は20余代も続く舟の検番所をやっていて大量の歴史資料を関宿民族博物館に寄贈したとのこと。さらに自宅は博物館のふもとの(博物館はSuper堤防の丘の上にある)鈴木貫太郎記念館の裏手だと。なんとしたことでしょう当方はその博物館で講義を受けたり資料を購入したりしてきました。話はまだ続きます、今度実家に行かれるときに声を掛けていただき資料を見せていただけることになり30分も話し込んで帰宅しTVをつけた。なんと、その鈴木貫太郎記念館に泥棒が入り重要な記念物3つが盗み出されたとの事。どうしたらこのようなめぐり合わせになるのでしょうか?
今回いつもなら電話やFAXにNet振込みでしたがなぜか直接ご挨拶したくなり入谷、清澄、白髭橋と回ったのがよかった。しかし帰宅したTimingになんとしたことでしょう?

2011年8月23日火曜日

我孫子市主催放射能汚染セミナー2回目

20日10時から中央学院大で我孫子市主催放射能汚染セミナーの2回目が有りました。前回と違い星野市長がOpeningで挨拶しましたが誰一人拍手をしません。気まずい雰囲気で液状化、放射能に市長の不規則発言の3重苦に今頃出てきたKY野郎と厳しい視線が注がれました。市長が一回目の説明会では客席に隠れていたと聞き恥ずかしくなったのを思い出しました。

市長は汚染実態の把握に測定器を持たせる、測定器を希望町内会に貸し出す、特定公共個所に限定し除染をする、情報の共有に勤めると説明しました。
しかし園児や生徒らに累積線量計を持たせるのが本当に実態の把握か?我孫子の園児やらは最前線の被爆センサーか?その前に市として測定Pointを拡大し全様把握の努力をするのが筋でしょう。既にM小学校では2とか3マイクロSv/Hの超Micro Spotが見つかったとの報告があります、そうなるとそこをたまたまよけていただけの薄めた平均積算数字でHot Spot探しを隠すつもりか?市が学習し前より狡猾になった隠蔽体質に不信感はさらに募りました。

放射能対策 3本柱

ECRRですらこき落とされるBlogを発見しました。あまりに膨大な情報で読み砕くにはしばらく時間がかかります。ECRRの発信している論文を事細かに検証しているようです。また2004年に今中哲二先生(京都大学 小出裕章氏と共に、いわゆる「熊取六人衆」として70年代から反原発運動にコミットし続け、今回の福島原発事故でも活発に活動し続けている、日本における反原発運動の旗手の一人です。)が同様の検証を行いECRRの論拠に脆弱性を指摘しています。P2-3, 14には分かりやすい納得できる物の見方を示されています。

そこでそのChartをお借りして拮抗する2つの見方を丸めると左の端にICRPの答申があり右の端にECRRがあり児玉先生のような実務家がどちらかと言うと右半分の中でご苦労され警告を発しておられる構造です。どの道正解はこの両端の間にある訳です。分からない中でRiskを最小にするのが市民の思いで、 汚染実態の詳細な把握、除染、情報の共有 が三本柱です。

2011年8月19日金曜日

8月のTopics

東葛地区は放射能汚染が深刻になりつつある、情報収集を進めている。各市の対応がばらばらでその中でも動きの鈍い我孫子市は今や液状化、放射能汚染、市長の迷走の3重苦と言われている。そこで市議と意見や情報の交換を進め既に7名の市議と会った、何名か期待以上に力の有りそうな方とも会話できてよかった。つてを頼り一応安定していると言われている計測器にて自宅周辺を計測してもらったが敷地内は0.17-0.21敷地外の隣接草むらは0.35、表道りの側溝が0.5近く集積が始まってる側溝はできれば除染したい。放射線セミナーにも出かけた、測定器メーカーとも相談しそのうち日立市までデモを見せてもらいに行くことにしている。線量計と除染用のJet Pumpや糊(コンクリでは糊を塗り布を張り乾かして剥ぎ取るのが有効らしい)やらをそろえることにした。福島原発は今でも大量の放射能を放出していて雨が降ると線量が微妙に上がるし線源が流れ出して集積も進む。小堀古利根沼や手賀沼の線量を見張る必要がある。

2011年8月9日火曜日

ECRRは緑の党か?

今朝も早くから文献探しです。気になる文献がありました、ECRRは緑の党の影響があると。
真意を検証してなくてはなりません。でもUSの博士も参照しているぐらいですからそれほど偏向してはいないと思いますが、と言うかIAEAやICRPほどに産業界のスポンサーも居ないわけですから両者を比較すれば利益団体からのDriveを受けないように思います。 
さて事実は?これも継続してみていくItemの一つなんでしょう。さらに強靭な柱を固めるには仕方ないことです。バズビー博士Interview。

いよいよミョウガが

気がついたらミョウガが出すぎです。花が咲いてしまい実がスカスカのが半分以上。いいのを選んで生姜と一緒にそうめん汁に入れて食べてみましょう。今日から毎日見張らなくてはいけません。やぶ蚊がすごい。。。。。。

2011年8月8日月曜日

ICRPとECRR

市会議員とも会話を加速しています、その為にも事前の情報収集と知見を集め自分の知識Levelを高める必要があります。この、ICRPとECRRは出色の情報源です、楽天的な意見を述べる学者はICRPに寄り添った古い(DNAの完全解読がなされる前の)見解で、起きてしまった事象、Trend分析から展開する古典的Approchの様です。一方ECRRは線源ごとの細胞、DNA Levelへの影響を微細に読み取ることから説き起こします、よってECRRにはDNAの損傷状況の推移から将来の被害予想が可能になる方向感を感じます。
 
まだ大丈夫を繰り返す御仁には一言 ICRPとECRRのちがいは? と質問すれば馬脚を現します。頑固な赤ひげ人情先生もどきと最新鋭のDNA工学を駆使した技術革命の対峙です。

2011年8月5日金曜日

昨年は春先にそらまめを植、その後安納芋、ジャガイモを植えました。今年は多品種少量で2つの畑それぞれになにが適しているかを探すような植え方です。毎日この写真ぐらいに(写ってはいませんがCheeryトマトを10-20)収穫します。根菜よりは大量に採れて大きくなる様子が見えて楽しいです。
この他はかぼちゃのツルが盛大に暴れまくっています、ゴーヤは以前ほどの勢いがなく遅めですが咲き始めました、ハーブも猛烈に大きくなりバジルはちっさな森が2,3つできましたローズマリーも素晴らしい。オクラは今一ですが食べています、三つ葉は終わりかけています、柿は幾つか落ち15個が3Cm程の大きさになりました。モロヘイヤは大きくなってきましたが紫蘇には負けています。ミョウガは沢山葉が出ていますが実はまだで今少しでしょう楽しみです。アスパラは4本とも順調ですが収穫までには2-3年かかるでしょう。日当たりや水はけ土質でかなりばらついていますのでこれを参考に来年はトマトときゅうり、なす、オクラをしっかりつくろうと思います。

2011年8月2日火曜日

線量測定立会い

市の測定作業に立ち合わせていただきその実態を見せて頂きました。1m, 0.5m、5cmの3つの高さを正確に計る手作りの台を持ってこられました。安定するまで1分ほど待ちますが測定自体は簡単10分ほどです。

測定結果から3.11以後に何度か大雨があり汚染物資が移動を始めている様子が分かります。硬い地面で雨で洗い流されやすいところと逆に雨がたまると思しきところでは3倍の違いが有りました、かなり高いです。

決まった定点を少数観測していると確率的に雨に流される部位が多くなりますので間違ったMsgを出すことになります。点から面に網羅的に測定する仕組みを急いで構築しなければなりません。恐らくは濃度が一桁上がる1マイクロSvをゆうに越えるSpotがあちこちに出てくるはずです、さらに濃度を上げ排水路を通じて汚水処理場かあるいは田んぼに集積されていく事になるでしょう。いよいよお米でベクレル限度を越えるものが見つかるでしょう。しかし牛ほど正確にTraceできませんから不安だけが先行し大変です。

2011年7月31日日曜日

被曝障害評価: なにがGAPを生むのか?

セミナーや多数の文献を読みながら立場の違いが有るにしてもこれほどの左右真逆の安全、危険の議論がぶつかるのかに頭を悩ませてきました。

今時点でPointを単純化すると 1。進めなくてはならない立場の人と原発だけにFocusし単純に危険ならやめるべきとの人との対峙がある、2。どう安全かなぜ危険かでは今のところ古典的な症例事実の傾向から論じるしか無い立場の方が業界の主流。ところが危険度合いを予知する技術に革命が起き、遺伝子工学にて遺伝子Levelの変異を微細に捉えることが出来るようになった。実際にはまだ症例が出て無くてもDNAの痛み具合いから発症を予知できるようになった。この対峙、すなわち20-25年後の障害を予知できるとした立場の論陣の方との戦いらしい。

だんだんわかってきてその内にSimpleに比較ができるだろうが推進派は極めて分が悪い。究極の廃棄物処理までを包含した技術が完成できていない、よってもってLifeでの発電コストが説明できない、兵器産業としての技術が民生の発電Buzに継承できてない。と言うか兵器技術は共有しては優位性が損なわれ民生と共有出来る道理もない。よってもって技術や運用経験を製品として買うことになり事故を前に経験やCore技術が無いので真実に斬り込むことができない。

2011年7月27日水曜日

我孫子市 放射線汚染 講演会: 露呈した大きなGAP

市内は比較的線量が高く最大は0.80マイクロSvが検出されていました。そんな中で今日は市主催で電研 放射線安全研究センター長をお呼びし 正しく知って正しく怖がろうの講演会です。400名の第一会場は満杯第二会場にも参加者が居られ市民の関心は相当なものです。60分の説明で基礎的な言葉の意味や測定値の意味するものを網羅的かつ体系的に学ぶことが出来よかったです。事実を把握する、除染する、それらをOpenに共有する の3つが柱とのこといいですね。 結論として市が公開している汚染度合いでは大きな危険はないと理路整然と説明されました、(さすが電研のスポンサーは電力会社です!)終わり30分は質問時間です。
まづは反原発推進者と思われる年配女性からの質問からです。何によってチュルノブイリでの事実を無視して安全との論理を組み立てたのか?と当方も感じた質問。それやこれや多様なLevelの質問がありどうしたことやらVideoにとらないでくれとマスクをしながら延々自説を述べるのまででてきました。さて最後の質問となったときに不思議なことがおき司会者が指示した方の5mほど左の別の老人にマイクが渡りました、何か作為が在ったのでしょうか?
まずは一刀両断に原発推進派の宣伝公演だと切り込みます。なぜなら事実を把握するのが重要と言いながら詳細な把握していない我孫子の数値を受け入れまだ大丈夫と言ったからです、拍手がわきました。さらに柏や野田の他の市で行っている線量調査や各種ガイドラインを引き合いに市の無策を追求します。今度も拍手が多数沸きました。本来は担当窓口の手賀沼課が受け答えしなくてはなりませんが先生に振ったまま、時間切れ終了の挨拶を手賀沼課がしてお開きとなりましたが参加者の不満はかえって大きくなりました。 

本日確信したこと。 1 多くの市民が心配している。 2 市の対応はまったく遅れ事実を知らされていないと感じている。除染し低くなった場所を中心に今も定点観測しているが何の価値があるのだろうか? 計器が5個しか無いのでスポットを探せないのがいつもの言い訳ですが、5台で24時間、365日を5組でやれば多すぎるくらいです、5台とも遊んでます。一番目の柱の事実の把握を無視する隠蔽方針は良くない。 3 近隣の市では多様な対策しているが我孫子市は形だけで東葛Teamに入れてもらうのが戦略、まったく自主性も危機感も市長のLeadershipも感じられない。
終了は4時40分でしたから先生の退席後に第二部を仕掛け市民の心配を聞く会に継続すべきであったと感じました、星野市長も役人も困ったのろまです。しかし星野歯医者市長と選挙を戦った市会議員はどこに行ったのでしょう、まったく影もありません。Mailを出しても返事がないのもいるし中には公開していたMail Addressを閉じたのまでいます!?このことは良くRecordに残しておかなくてはなりません。
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さてここまで一気に書きましたが。
どうも市長(歯科医ですから電磁波やらの単位も取得し我々よりも知識がある)含め学者その他の中には我々と異なる認識をもった方が居る。(一方で極めて高い危機意識を持った博士も多数存在する。)拠り所は大学やらで学んだことやICRPの出典だとか論文だとかGuideだとかになるがところがこの低線量障害領域に確定された物はないとも言っている。例えばSvですら実際に検出した数値にいくつものFactorをぶつけ算出されたもので、それは今後の知見によって見直される余地があるに違いない。事実は 今でも依然真実は不明である こと。この環境下で安全Sideで考えるかRiskを無視するかの差は大きい、これが我々の危機意識や期待と市や一部の学者の見解が咬み合わない原因らしい。

2011年7月25日月曜日

原子力安全・保安院 原子力安全広報課

SPEEDI Dataを元にした放射能拡散MAPを公開しました。炉ごと時系列ごとのあまりに膨大なCHARTです。今一よくわかりませんが大半は海の上に拡散したように見えます。内陸には北西に流れていますが関東方向にも流れたようにも見えます。

2011年7月17日日曜日

源泉かけ流しの旅再開 7月 木賊、湯の花、桧原湖 早稲沢温泉

4ヶ月ぶりに源泉かけ流しの旅を再開しました。まづはいつもの南郷 木賊、温泉が出なくなってしまった井筒屋さんの直ぐそばの共同浴場ですがいつもとかわりなくこんこんと湧いていて安心。底からは湧いていますが横の壁からの管からは停まってしまっています、井筒屋さんと同じ源泉なのでしょうか、少々心配。 夏はいつものように熱めです。



宿泊は湯の花の亀屋さん、始めての訪問です一日3組のみ道路端の自家源泉お風呂が有名です。裏の石湯を橋の上からパチリ。よくみてください人が一名居ますがなにをしてるのでしょうか? 石湯は熱すぎて薄め用の水もちょろちょろで入浴は不可能。200円の共通一日入浴券を買って利用する仕組みに変わりました。










翌日は121を北上し湯野上温泉駅で休憩しながら裏磐梯の桧原湖へ。3時間かかりましたがゆったりDriveで疲れることもなく早稲沢温泉の森川荘に。源泉掛け流 し露天風呂を堪能、夜は近くの方と酒盛り、貴重な経験をさせていただき大感謝。なにやら猿の被害が大変でそれを撃退する電線の工事をしているそうです。動植物の生態系がここ10年で大きく変化し何処にいってもさる、たぬき、鹿、いのししの被害を聴くようになりました。桧原湖にはフラメンコ・ダンサーの長嶺さんも猫屋敷をお持ちだそうです。湖畔のSIO-YAで塩ラーメンを大変美味しくいただきました。 

2011年7月9日土曜日

携帯電波事情

小堀の電波事情は以前から良くなかったのですがIPodに代えてからは部屋の中では全く使うことが出来ません。電波を増幅する室内Antenaを取り付けていただきましたが改善しません。仕方なくInternetにFTとか呼ばれる小規模無線局Boxを取り付けていただきやっと繋がるようになりました。Boxの位置により事務室ではつながりが悪いのでLivingと事務室の間の天井にBoxを移動してみたところ、どちらでもまあまあの状態になりました。不思議な仕組です本来Soft Bankの電波を使うはずの通話がeAccessのInternet Wireにただ乗りしてSBに届きさらに通話先に届きます。通話料が減額になるとは聞いていませのでSBは丸儲けでしょうか、私には良く分からない不可解な仕組みです。

取り付け業者は近頃はあちこちで電波が薄い, との独特の表現を使います良く分かる表現です。
確かにSmart Phoneが増えパケットを大量に送り出しますので近くの局が満杯になりやすくあえて遠方の基地も使うようなCaseが増えてこんなに繋がらなくなったのでしょう。たしかに薄まったようです。他のProviderはどうかと聞きましたらDOCOMO同じだと言っていました。

2011年7月6日水曜日

国会討論

今日血祭りに揚げられたのは海江田万里です。社民党、公明党の質問は低調ではぐらかせるのが分かっている今までの繰り返しでまったく時間つぶしです。出色は共産党の笠井議員、極めて明快で単純な質問2つです。 
保安院を有する経産省大臣海江田万里がなにによって玄海原発の再開を推進しあまつさえ現地に赴いて古川知事との面談で安全を国が保証すると言うか、今の時点でどうして安全と言えるのかです。本来九州電力や県からの再開要請を受けその願いを検証し安全を確保する係のはずが、今までざるであることが実証されていてますので答えられません。第二点は九州電力の公開原発安全説明会のLive TV放映です。海江田は必死にOpenで公平な放映であったとしますが、九電から関連会社に当てたさくらを募るMailを付きつけられました。芸人の性か万里は怒ったふりでそのようなことは断じて許されないとしましたが細野や菅の支援もなく万事休す。管がEUのStress Testを再開条件と海江田の背中に弾を打ち込みましたので海江田は辞任の意向を公表するに至りました。政府は国民の不安のLevelにほんの少し近づきましたが今度は政府の方向感(電源)の喪失が明らかになり大規模停電(ニホン・メルトスルー)の心配が募ります。

原子力資料情報室

柏、松戸、流山、我孫子、守谷、松戸近辺の放射線量が比較的高くTVでも放映していました。学者が出てきて政府の安全推定値は年間1ミリSvでここいらでのLevel 2.5ミリSvもおおよそ問題ないだろうとの説明ですが誰も信じません。内部被曝は、Hot Spotの調査を怠ってきている、国賊斑目がまだ安全委員会を仕切ってることも有ります、ふざけた話です。
斑目の対局に居られる高木仁三郎氏の活動が次第に広まってきました原子力資料情報室です。小出先生や石橋先生その他の特化した専門分野での活動も重要ですがそれらをまとめ市民目線で展開されている地道な活動です。(誠に残念ながら高木先生は60代で大腸がんで既になくなっていますが情報室は活動を続けています。)公平な情報を収集し活動を支援するために会員になることにしました。

玄海原発の町長にも古川県知事にも読んでいただきたい。

2011年7月1日金曜日

ポアロ

久しぶりにポアロでDinnerです。5人でしたが、1000円の野菜取り合わせを4人前、オーブン・ポテト、トマト・サラダ、鴨サラダを追加。どれも素晴らしかったのですがトマト・サラダと野菜取り合わせの中の紫蘇のパスタが出色でした。紫蘇のパスタは相当な量の紫蘇をミキサーで微塵にし固めのパスタに和えたのですが海苔のような風味が最高。まるで緑のソースの中に浮かぶパスタで清涼感が在って食欲をそそり最後に出てきましたが皆さん大満足で即完食です。

残念ながら青山のお花畑はお店を閉めたそうです、金沢さんが多忙で我孫子から朝採り野菜を運ぶことが出来なかったのも一因でしょうか、残念。

2011年6月25日土曜日

銚子マリーナ

波崎に出かけましたのでマリーナに寄ました。前回訪問した時には大量に有った湾内の破損した桟橋や沈没していた船は綺麗に片付き、Yardに運び込まれていました。しっかりしている船ともはや廃船になるしかない船がほぼ半々25隻づつ50,60ほどでしょうか?100槽から150槽が係留されていましたので同数以上の船が沖合に運ばれていったのでしょうか?さつきを探しましたが残念ながら見つかりません。屋根以外は完全に破壊されたClub Houseの前に作業用の小さなコンテナが設置され復旧に向けた準備の様な雰囲気もあります。
猛暑の昨日と打って変わった悲しげな空模様の中銚子市場も活気がなく沈んだ気持ちで帰宅の途に着きました。

2011年6月12日日曜日

東電 株主総会

案内がきました、当然のことながら震災への対応と謝罪一辺倒です。
役員の持株一覧がありますが社長、会長でも自社株を4,5万株程度しか所有していない。震災前のひと株2000円程度にしても1億も持っていない、役員でも1万株なんて方も複数います。日本の役員はこの程度なのかStock Optionがどうなのか関連会社の持株も不明ですが1桁小さいように思います。第三者報酬委員会はあるのでしょうか?こんなことなので退職後も死ぬまで公的機関の役職にとどまって安定しようとなリ保身に誘導されるのでしょうか?
総会には初めてですが行ってみようか、しかし入れないほどに混むでしょう。反原発団体のDemoもあるでしょう。デモをTVで放映していました、TVで見るDEMOは久しぶりです。今まで危険性を学習して来た人たちなんでしょう、遅れてしまった当方は恥ずかしい。

2011年6月9日木曜日

僕と核

本当に世の中には頭のいい人だけでなくPowerがある方が居ます。
僕と核 この方はバークレー校卒のミュージシャンですどうやったらこのように核を網羅的に理解し且つ誰にでも分かる様に説明できるのでしょうか?感性に訴えるDNAが凡人の私とミュージシャンとの違いでしょうか本当にすばらしい。
圧巻はSection8のスターングラス博士とのインタビューと被爆History2011Versionの付録です。 Historyには以前見たショーン・コネリー主演のK19 ソ連原潜事故実話映画もMappingされていて、断片情報がモザイクの様につながり始めます。 当方は情報を書き集め並べ替え、素人でも理解できる様に入り口から出口のSmart GridまでをCoverする研修Road Mapをこさえていますが、この僕と核が一番最初のEntry Blockです。政府、業界、マスコミから洗脳された無知、無関心の恐ろしさを実感できるでしょう。 たまたまGoogle Alertで引っかかり手繰って見つけたのです幸運でした。

2011年6月8日水曜日

日本の原発はなぜ信頼されないのか

岩波書店の科学 特集号のBack Numberが届き精読し始めました、2007年11月号です。
今までWebから蓄積していた資料の著者が多数寄稿しています、情報収集方法に大きな間違いは無いようで安心しました。推進派も少数ですが網羅されBalanceがいいようです。少なくとも3:11まではCO2削減対策、老朽化原発のReplace需要、新興国での電力需要の高まりへの対応に原子力ルネッサンスと呼ばれるほどの活況であったそうです。このような業界用語をいくつも学ばなくてはなりません。おりから原発事故調査委員会がStartしました。柳田邦男さんが参画しているのでどんなOut Putか期待しています。

2011年6月7日火曜日

サバイバル

午後からお向かいのお宅にお茶に誘われました。お庭には樹齢100年余の皐月が何本も満開ですばらしい。話は今回の被災から将来の関東圏での震災時のサバイバル計画に移り、Beerを3本もいただく程の大盛り上がりになりました。
大前提は首都が消失すれば我孫子市からの支援はもちろん橋が落ちれば(落ちなくても、今までの対応を見ると)取手市から期待できないから、1年は100戸で自立できなければならないだろとなりました。衣食住に話は移り幸い井戸は無数にあり(大中小で50-100本あるだろう)部落で発電機も保有していますので確保できる。ガソリンは車にもありますし農耕器具用の備蓄もされています。へっつい、炊き出し大がまを引っ張り出せば梅林や藪や川原から薪や竹を無尽蔵に確保できます。食材は自家菜園のみならず農場があります、店がありませんので冷凍室(庫ではありません)をお持ちの方がいるほどに備蓄があります。米、味噌、山菜、果実木もあります、さくら湖(釣堀)には魚がたくさんいます、馬も何頭もいます。仮設トイレのリースを生業にしている方が居ますので大量にあります。一方今回も液状化が見られましたがすべて大昔の利根川跡に沿っています住宅地では出ていません、半兵衛さん宅は関東大震災も経験しましたが今回もまったく被害はありません。(ただゆれで土台や大黒柱がすれぎーぎーと音がしたそうです。元はわら屋根で柔軟な構造なのでしょう。)ここは有史以来の突き固めた砂地で埋め立てではありません。まかり間違って火災やらでいくつか失っても学校はじめいくつもの建物を組み合わせれば十分に対応可能、もし野営する状況ならSpaceはどこにでもあります。
人材も豊富です大正、昭和生まれ戦災を経験した方、農業経験者はもちろん、大工さん、配管工、植木職人、教員経験者、金属加工、電気屋さんもいます成田航空学園には教諭も学生もいます、工具や重機があります。救急薬品も用意されていることでしょう。(飛行機もヘリもたくさんありますがどれも飛べません。)自動車工場も一軒あります、舟も何槽もあり自前のPierをお持ちの方も居ます。もともと舟運が小堀の生業ですから災害時に助け合いの精神があります。結論は1年暮らせる資材や人材は何とかなりそうです。そこで纏め上げるLeaderを認定し育成し継続的な準備をしていくかにかかるとなりました。今が皆さんに賛同していただける旬の時です。

我孫子温泉、さくら温泉

昨日月曜日は我孫子温泉は定休日ですが当方は小堀に半分住み取手市にも各種税金を払っていますので取手市と掛け合ってさくら温泉(ここで言ってる温泉とは勝手に当方がつけているだけで、実態は井戸水を沸かしただけの大浴場です、取手市には3箇所、我孫子も2箇所合計5箇所もあります。)も使わせていただいています。
ここは逆に日曜日が休みですが平日19PMまで開放しています。小貝川を見下ろす高台のすばらしい桜林の公園の中にあり、市民は100円、部外者は400円かです。我孫子温泉とさくら温泉を組み合わせると毎日どこかで大きな風呂に入れます。 昨日はさくら温泉です。近くには筑波大の再生医療研究のいもりの繁殖地もあります。そのうちDahonで小貝川をさかのぼりさくら温泉に入り帰りは折りたたんで取手市民バスで取手駅まで戻り小堀の渡しか循環バスで戻ることをやってみましょう。さすがに帰りは汗だくになるのは避けたい。

なお、先日、群馬県高崎から利根川関宿付近から江戸川を下り舞浜のデズニーランドまでサイクリング・ロードが開通したとのことです。関宿から銚子の間の利根川堤防の整備も進んでいます、木下から手賀沼を周遊し江戸川まではすでに完成していますから300K以上のサイクリング・ロード網の完成が期待できます。

2011年6月5日日曜日

原発とSmart Grid

震災特に原発関連では膨大な情報が氾濫していますが玉石混合で整理を始めました。賛成派、反対派は当然ですが地震学、廃棄物処理そして政治のかかわりが目玉でしょうか。出口の一つは自然エネルギー活用ですからSmart Gridも網羅しなくてはなりません。幸運にも今月ビック・サイトでSmart Grid展があるのを見つけ次世代自動車(EV)その他の展示も有りますので見に行くことにしました。

さて、IBMのSmarter PlanetはどうもSmart Gridの知見をBaseに2階建て3階建てに伸ばしたような印象になってきました。今までは逆に見ていて、S Planetが究極の考え抜いたFrame workで其の中に多様なSmart XXが取り込まれるような見方でしたが、どうもGridで既に構築された重要な知見がBaseでそれにあちこちの類似事例からの知見を標準化し位置付けし直し絵にしたもののように感じてます。来週IBMの社員にあえるかもしれませんので聴いてみたいと思います。
Gridも開発途上のInfra Baseの無いところほど導入は容易ですが出来上がった(完成度の高いほど)国程導入移行は複雑で困難をきたしますRiskもかなり高いです。Global共通仕様も重要ですが一方国や地域性、Industryに特化した対応が必要になります。被災者の皆様には申し訳ありませんがしっかり学んで見たくなりました。

先日虎刈りにしたツゲやつつじの葉や枝が大量にたまってしまいましたので朝から焚き火です。湿っていて燃えにくくずいぶんと時間が掛かり火を見ているうちに我孫子温泉に行く時間を過ぎてしまいました、残念。(市の指導を避けるためお休みの日に焚き火をするのが小堀の暗黙知)ハーブ、みょうが、にら、三つ葉、きゅうり、なす、紫蘇はまづまづ、芽が出なかったアスパラも最後の一株から出て来ました楽しみです。ゴーヤは今一成長していませんが其のうち猛烈に加速するでしょう。柿は葉や枝は猛烈ですばらしいのですが残念ながら花はたったの20個程しかつかずそれも大部分落ちてしまいました。お隣の木を見に行きましたが一枝あたり10-20の花がついていますから2月の手術の効果は無いようです。次回は太めの根を何本か切る究極の手術をしなくてはならない状況です。
ふきやドクダミ、藪枯らしは猛烈でまだまだ出てきていますが全体としては雑草は何とかなっていてまあまあの状態でしょう。

震災対応

一昨日から屋根瓦の櫛(ぐし、一番上の部分)の部分の補修工事が始まりほぼ完成し一安心です。
また昨日は小堀のリホーム工事をお願いした波崎の大工さんに来ていただき耐震化に向けて見ていただきました。想像していた以上に屋根組み、床、鴨居はしっかりしていることまた今回の増築部分が古家に寄り添う構造でさらに耐震性が向上しているとの事で安心しました。
ただ南から西にかけて座敷を取り囲んで縁側が長く回っているので開口部が大きく耐力壁が不足しているので玄関周りや戸袋2箇所そのほかにコンパネをはめ込み抜き材にしっかり組み込んでしまうことを提案されました。コンパネの上から和風壁紙を貼ることで調和させようと思います、これを機会に延び延びになっているHome シアターやLivingその他の壁にも壁紙を貼ろうと思います。
見ていただいた後で鴻運来(逃げ去った中国人に代わり別の方々が入りました。)で食事し、北小金のお寺の本堂の耐震工事の相談にも行って頂きました。そちらは屋根も格段に重量がありなかなか大変です。

2011年5月24日火曜日

IAEAが来た

IAEAが視察にきました、全世界に共有される報告書を書くためです。途端に事実が出てきました
メルトダウンは1号機は1日後から、冷却バッテリーが生きていた2,3号機では2-3日以内に発生していたらしいと。さてこれは72日もかかって分かることなのか? そんなものはDay1から分かっていたに違いない、もし分からないのならそもそも原発や世界に3箇所しかない再処理工場を運営する知識も管理能力もないことになります。100%分かっていました。なんだかの仕組みの中で公表を止められていたのでしょう、国会であれこれやっているのは全て芝居です。 

しかし、被災後2-3週間はかなりの余震も続きました、皆さん水やGasやカップ・ヌードルを買い集めていたでしょう。その時点でメルトダウンの可能性を公表したらどうなっていたのか? 娘を西に送った方も居ました、想像もできないことになったのは間違いない。原発Siteに作業員や自衛官は残れただろうか、閣僚や金持ちは飛行機を抑え子息を海外に逃がしたかもしれない、アフガンの様な無政府状況になっていたかもしれない。

??そもそもIAEAとはなんだか、これほどの危うい世界の核にどんなPowerがあるんだか?

追記: 原発の文献を読んでいましたら反対派の学者がIAEAは保安院、その他の斑目一派と同根で原発推進の営業部隊だとの評がありました。しかしエルバラダイはノーベル賞を受賞したのでは?

Hot Spot

近くの柏の葉公園や取手、守谷でHot Spotが見つかったと騒いでいます。
静岡やらでも茶葉が汚染されてるとのことですから調べればいくらも出てくるはづです。これこそ国民の健康への影響を把握するため迅速に測定し冷静な対策をとらなくてはなりません。しかし政府、野党は昔の問題をつつき合って頭が回りません。彼らの頭は時間が止まったままです。少なくとも与野党団結して国難に立ち向かう体制ができてないのは自明で、菅は嘘八百なんでもあり明明白白な指示の撤回や嘘は平気で付きますから官僚は危なくて指示どうりには動けません。
斑目を見ても学者が信用できない、当初TVでチェルノブイリでも有意差を持って被爆の影響は見れなかったと言っていたどっかの大学の学者は全く姿を消しました。実はとんでもない被害が今も続いているのです、日本の学者は何も学習しないのでしょうか?自分が何も知らないことを知らない学者が多い、斑目しかり。もしかしたら東電も歴代の政府やこんな学者にいじくりまわされた被害者かもしれない、えらいことです。

2011年5月23日月曜日

国会討論

70日を過ぎました5分の1年です。今日は国会討論を見ていますが中身は不毛です、質問する側も過去のゴミをつつくばかりで全く時間は止まったままです。臨界の心配をして注水を止めたのは誰か、斑目委員長と管との間の発言をめぐってどの党も時間を使います。どの質問も答弁も同じですから何をやってるのか困ったものです。国民の政府への不満の一つはSpeedで、もちろん政府の執行能力もですが野党の危機意識も極めて不満です。どうしたらいいのでしょうか? 
NHK BS特集原発廃棄物を見ました、ひどい話で今でも再処理工場は合法的に大気中や海中に汚染物資を出し続けています。なんと海洋投棄は国際法で禁止ですが工場からパイプで低Level廃液400Klが毎日廃棄されているのは合法だそうです。原発は安全で燃料は高度にリサイクルできると理解していましたがとんでもない、使用済み燃料の80%はリサイクル出来ず劣化ウラン(例の戦車を貫通させる砲弾の材料)となってシベリヤ(近々ではモンゴルが日本と調整中)などに山積みされているそうです。再処理工場は汚染度合いがひどく世界で3箇所しか稼動してなくて殆どの燃料はそのままPoolで水につけ10、000年単位でモニターし飛行機の墜落やテロにあわないような警備が必要ですがそれが世界で400-500箇所もに分散しているのを知りびっくりです。台湾にも大量に積まれて居るように見える絵が出ました。 極秘の原爆技術の延長で原発が展開され情報は全く公開されないままとてつもないことが起きているようです。
当方は途方も無く無知でした。

2011年5月3日火曜日

銚子マリーナ

リホームをしていただいた波崎の大工さんの所に出かけ、帰りに銚子マリーナに寄りました。
マリーナではまだまだ大型クレーンやTrackが瓦礫の整理をしている段階です。ねじ曲がった桟橋、水没した船も20隻前後が沈んだままです。既に多数の船がYardに引きあげられていますがどれもひどい状態で中には船首をもぎ取られたのもあります。Yardに引き上げられた中にさつきを探し歩きましたが残念ながらありませんでした。Club Houseは波が貫通しパティションが押しつぶされよく死人が出なかったと思う惨状です、何故か屋根は瓦一枚も飛んでなく美しい橙色はもとのまま健在でした。

以下の被災直後の写真集ではマリーナから道路を挟んだ幾分高い大学校舎1Fのカフェや守衛室も水没し大型艇が校内に運ばれた様ですが今は被災した面影はありません。
https://picasaweb.google.com/seayouth/20110312110312#5583041476526823602

防波堤もそれなりに高くさつきが外洋に運ばれたと は思えませんが校内にまで船が運ばれた事実から引き波で護岸を越え持ち去られたのでしょう。水没している船やYardに揚げられた船を見回しても40-50槽しか残っていませんし浮き桟橋は大半がなくなっていますので優に半数以上の艇が持ち去られた様に思いました。残念です。

2011年4月24日日曜日

梅 枝の焚き火

昨晩がうそのような快晴ポカポカの日曜日です。恒例の梅を剪定した大量の枝の焚き火です。かさばり4tトラック4-5台分のかさが有りました。毎年これほどの量が出るのですから木々の活力はすごい。火をつけ放置して数日は残り火があり最後に残った灰は畑にすきこんで肥料にします。
残念ながら今年の梅の実の付き具合は不作の兆しです。昨年夏が暑すぎて木に負担が掛かったのでしょうか? 一段落したところでタラの芽を採らせていただき恒例の作業はあっと言う間の90分程で終了しました。

2011年4月23日土曜日

潮来、神崎町に

小堀の耐震工事や漆喰の手配その他のお礼とご挨拶に雨の中大工さんに挨拶に出かけました。今日は大工さんは潮来で震災の修復事業をされているとのことで潮来に向かいました。行きながら利根川沿いの住宅も多数屋根瓦が損傷しているのが分かります。堤防沿いの国道も一部不通です、舗装もひどく痛んでひび割れもありいつもは信号のない一直線のドライブを満喫できる道の変わり様が嘘のようです。
潮来には橋がたくさんありますが道路が陥没したのか橋が隆起したのか段差がひどくやっと走れる状態です。写真の潮来駅の周辺では電柱が軒並み斜めになりその根元は大量の砂が噴出し液状化です。また道路の多くは冠水していて排水設備が機能していないようです。東北と比べれば生活出来てるのですから被害のうちに入らないのでしょうがかなり大変な状況です。旅館や観光街も以前とは違う雰囲気で暫くは潮来独特の風情は戻らないのかと心配です。
 帰りに神崎町に寄りました。神崎祭り2日前に震災にあい中止になりました。仁勇の酒蔵で樽からでたままのシュワシュワのお酒を楽しみにしていたのが残念です。酒蔵の壁や瓦が被害にあっています。幸い馴染みのお酒屋さんが開いていたので大吟醸を仕入れ地元復興に少し貢献した気分になりました。 頑張って祭りも、酒蔵も復興しさらに盛り上げてほしい。

2011年4月20日水曜日

新緑 最高の季節

なんとも言えない最高の季節です。特に柿の若葉が素晴らしい、奥の大木エノキも全体がもやっと薄緑で控えめでなんとも言えません。柿は実をつけるように皮をはぐ手術の後なので心配でしたが元気です。なんとか実をつけて欲しいです。 ハーブもすさまじい勢いで立ち上がってきました芽が出た葉が出たでなく立ち上がってきたが適当な程の勢いです、雑草その物の息吹を実感します。 余震の中ですが苗を植え種を撒き、今年も準備は整いました。

本来なら連休前の今頃は新緑をめでに南会津に出かける準備でうきうきですが今年はそれもできなく残念です。何とか全てが収束し心から季節の移ろいを満喫したい。。。

2011年4月18日月曜日

一気にサクラが咲きそして散り、そして新緑

サクラはだいぶ足踏みしていたのですが一気に開花しいつものように13日頃には散ってしまいました。

余震を物ともせずに川端でお花見です。昨年の猛暑の影響か花付きはイマイチで高い枝の先では花の厚みがありません。しかし贅沢はいっていられません怪我もなくたいした被害もなく今年もお花見が出来たことに感謝感謝。日を追って新緑の清々しい景色がすばらしい。なんとか連休明けに福島県南郷に出かけなくてはいけません。

一月過ぎました

我孫子市内では市の東南の端の利根川沿いの布佐地区で液状化による大きな被害が出ました。利根川が洪水の時に出来た沼を50年ほど前に埋め立てた地域を中心に130棟が全壊その他多数の被害が発生しました。幸い市内の自宅も小堀も被害はなかったのですが一棟のApartの櫛(棟)が2m程倒壊してしまい復旧しなくてはなりません。幸い出入りの業者が足場を用意してくれたので臨時補修を済ませましたが本格的な工事に使う漆喰が消えてしまい開始できない状況です。ようやく3分の一250Kを手に入れ残りの入荷を待っている状況です。
まだまだ余震が続く中で通常は足場につっかい棒を施したりしないそうですが万一に備え敷設をお願いしました。東北の方の被害から比べればなんでもないとして、この際しっかり耐震工事も施そうと準備しています。

2011年3月26日土曜日

半月過ぎました。

Blogを見ると当日5AMに春が来たを報告していました。 午後我孫子温泉で風呂から出た直後にゆれに襲われ早くも半月です。建物には少々の被害が出ましたが皆怪我も無く幸いでした。契約直前の大型案件はCancelしなくなってしまい我孫子温泉も福島県からの被災者受け入れで閉鎖してしまいしばらくはGasも無くじっと我慢の日々でしたが少しずつ解消されつつあります。この辺は穀倉地帯で農産物は途切れることなくあります、野菜や水の放射能が騒がれていますがこの程度では40歳以上なら被害にあう確率は喫煙以下といっていました。
いわきから避難されて来た方がApartに住むことになり特別対応でお応えしようと準備しています。犬を連れて4名で車で娘さんの部屋に逃げ込んできました。政府が原発水撒きShowで遊んでるうちに2次災害しかも人災の気配です、ほんとに困った連中でポルポトみたいに行政実験をやられては国民は不幸です。
今日は北西の大風で庭仕事をする気にもならず、久しぶりに身辺整理をします。

2011年3月11日金曜日

春はそこまで

いよいよ春です。雑草が出始めました。あちこち土をフカフカにしていますのでいくらでもむしり取ることができます(今のうちは)。 南では雑草予防シートを突き破って球根が芽を出てきました。しかし何故か大雪のあと金魚が数匹ずつ死んでとうとう全滅してしまいました。水が冷たすぎたのか?でもお向かい他でも皆さん異常ありません空気ポンプも止めていました。のこるのは比較的新しく葺き直した瓦の上に滞留した雪が溶けて天水受けに流れこんでくるのでなにか溶剤が混じってきたのか?残念です。

セミナー STD C BK@大手町

2回目のセミナー出席です、昨年春のセミナーでは香港から来た中国系オーストラリア人リサーチャーがH22末には1US$ 113円かもと大ぼけの御託宣で外貨仕組み預金に誘導した因縁のあるセミナーです。今回はロンドンから10年先を読む(スーパーサイクルと呼ぶそうです)リサーチャーの講演です。
Gobal GDPは1990から2000で1.5倍、2000から2010で2倍(20年で3倍)と置き今後10年でさらに2倍と置きます。中国の成長がさらに早まり2020年でUSに拮抗し日本はIndiaにも1.5倍抜き去れれ4位に、たった9年先です。さらに2030年にはインドネシア、Brazilにも抜かれ6位に、しかもドイツにも接近されるとの御託宣です。こちらは成長どころか縮小している現状からさもあらんとゆう気になってしまいGlobal Fund商品への勧誘です。新興国の政治や環境特に水資源確保が成長の課題とのことですが他国の成長にも阻害にもどっちにも振り回される日本はどうしたものか?ガソリンが急騰し食品も何もかも......最後は国債金利も上がってIMF管理下か?(選択3月号 巻頭記事より) USは放漫政策継続でも州は破綻寸前、UKは超緊縮財政と全く逆向する政治。政治の混乱は先進国も同じ。

2011年3月3日木曜日

3月の源泉掛け流し

確定申告も人生最大の案件も事業計画見直しもあれやこれや結構な2月でしたが一息つきました。首の具合がおかしくて明日は取手カイロの先生に行きます、確定申告症候群でいつものことです。骨休みに源泉掛け流しに出かけようかと思っていたところGood Timingでお誘いがありました。箱根か館山(養老渓谷の近く七里川に小さな温泉があります)、いまだに豪雪の中の猪苗代か湯西川かいつもの木賊温泉か...検討開始。

2011年2月26日土曜日

趣味の車

写真を整理し始めたらやはり車は懐かしいです。18で免許をとって以来、コロナ中古、MarkⅡ中古、結婚してコロナ2Door中古、長女誕生でBlueBird、ISUZUジェミニのジーゼルTurbo(冬元気、夏ぜこぜこ喘息),300SD(中古をUS NJにて購入、日本に搬送),(Skyline、Cityも3台並行して),E230, 300TE中古、今は三菱Colt Plusのみ。最高は300SD、5シリンダーのDiesel Turbo 重量は3t近く加速はよくはなかったが故障は少なく軽油で燃費が良く乗り心地は最高、Qubecから1000K程を一気に戻ってきたことがありますが疲労は少なかった、また図体に似合わず小回りが効いたのが印象に残ります。今のColtも快適軽快ECO. 最悪は300TE、次はE230でエンジンOH、ミッションOH、電気系統....あらゆる故障に悩まされました。Dealer サービスもかなりなもので困ったM Bentです。 どうしたんだか......

2011年2月22日火曜日

柿、ゴワゴワ皮むき

今日は柿の幹のごわごわの皮をむきました。写真はBefore Afterの2枚。ごわごわの中に虫がついていると花が咲いても落ちてしまうとの事で皮をむきます。庭師から殺虫剤を使うよう教えてくれましたが昔薬害と思われるえらい目にあっているので、ここは無農薬で。カマで剥ぎ取りましたがそれらしい虫には出会いませんでした、卵で冬眠してるのでしょうか?下の写真の柿の木の左側を見てください、既にモグラが活動を始めましたもっこりです、雑草も、春は直ぐそこです。
上も下もはいでしまいましたがその効果はどうなんだか? 

2011年2月21日月曜日

Eagles@SONGS.BS.NHK

2TBのHDDをRegzaに追加してどんどん録画しています。CATVやWOWOWは契約せずもっぱらNHK BSを片っ端から録画し取捨選択して気に入ったものをLAN経由でServerに残します。SONGSは特に気に入っていますが先日はEagles特集です。実によかった。誕生や活動歴、曲の背景やらのナレーションは助かります。定番のホテル・カリホォルニアに69’のWood Stockを回顧するやりきれない思いが込められてるとは、まったく逆の怠惰な曲としか理解していませんでした、ここのところ毎日聴いていますが毎回新しい気づきがあります。
AP HQに在籍した当時日本公演がありUSからのLiaisonが大騒ぎしていた理由がよく分かりました。またElton Jの武道館公演で知人を探したらいるはいるは皆総出状態。20年も前でVHS、CDはありましたがDVDもU Tubeも無く皆さん飢えていたのでしょう。 Rod S、Elton J、Eric C........またコンサートに行きたい。

2011年2月20日日曜日

世の中狭い その2

土曜午後は隣町南柏の麗澤大で豪華な教授、メディア陣による4時間のロシア、中国問題のセミナーに参加しました。下斗米法政大教授、毛理早稲田大名誉教授、石郷岡日大教授、山内NHK解説委員、池田日経論説委員。膨張する中国特に東北部、ロシア極東の国境地帯での元通貨による影響がすさまじく、このままでは飲み込まれかねないとして道路や空港や衛星発射基地、港湾その他の山のようなProjを起こしているそうです。人口比では中国人1億人に対しロシア人は6百万人だそうでソ連崩壊後の生活苦から200万も減ったそうです。プーチンが開通した高速道路を4日間掛けて自分で運転して走りぬけヨーロッパから極東までの道路網完成をアピールしたそうです。露製の車で4日も高速を走れるのかもありますが昨今のカフカスやチェチェンからのテロの危険を考えれば相当な覚悟を持って行ったのでしょう。その文脈で北方領土へのプレゼンスを高めて居ると言う説明がありました。(バットマン=プーチン&ロビン=M大統領の小話が選択にありました。)結局のところ中国の膨張による地政学的なSea Change(潮目が変る)は説得力がありました、後15年でUS GDPを越える例の有名なGoldman Sの絵です。Panelではメディアの方3名に情報発信役割に付き苦言がありましたが彼らは報道の質は国民文化Levelに比例している、今どんどん海外特派員を切ってしまっていて国と同様内向き志向との説明に納得。先月の防衛大教授による朝鮮半島問題セミナーとも大満足。こんなに近いところにこんなOpenで立派な大学があるのは誠に恵まれています。
なお、ロシア問題の権威である下斗米教授は中学の理科の先生のお子さんでした、 世の中狭い。

2011年2月15日火曜日

雪の小堀

雪の小堀は3年前を思い出します。今回と同じような積雪10cmほどでしたが快晴の中を徒歩で天王台から来ました。今日は午前中は薄曇りそれなりの気配ですが午後から晴天で素晴らしい。上から小堀の渡し場、利根川に向かって奥には筑波山も薄く見えました。次はWish馬場、小堀には馬がいるのですまた2Km下流には仲間牧場が有ります。馬場だけでなく利根川河川敷や小堀の周辺のあぜを乗馬して歩く方もおられます。以下、古利根沼の船着場を2枚、ついで川端(カバタと読みます)古利根沼に向かった一段下がった岸辺です。 我が家の北側の梅林を2枚ほどLand Markの我が家のエノ木も撮りました、末尾の写真の山盛りは梅の選定した枝、雑草が生えた頃に大焚き火にて(秘密です).........  空気も澄んできれいで静かな素晴らしい雪の小堀でした。 ありがたい。

柿の木

当方の柿木は樹齢はゆうに30年以上になると思いますが毎年花が一輪咲き一つだけ実がなります、誠に不思議です。実を付けている木をお持ちの方にお聞きしたら鶏糞を大量にやってるとのことでどうしたものか思案していました。たまたまお向かいに植木屋さんがこられ暫く生垣の剪定をしていた折にみていただいた所、肥料は十分とのこと。後はShock療法を施してはとのことでやってみました、地面から30cmほどのところの幹の外皮と中の薄皮をはぎ取りました。
さらに花がついても虫が付くと落ちてしまうとの事で薬剤を散布して消毒してみます。なんとも不思議な術ですが効果は1-2ヶ月後の春先に判明します。さて、効果は?? 

PS:環状剥皮 という技で果実ではよく知られた技だそうです。根を切って栄養を取らせ無いようにする技もあるようです。